仔狐シリーズ

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「本当にすみません、ご迷惑おかけしてしまって……」

 会社を休んだ翌日。
 私が平和島さんと会って一昨日の事を直接謝罪出来たのは夕方になってからだった。
 露西亜寿司での会計は、いーちゃんが立て替えてくれていたので、そちらの面で迷惑はかけずに済んだものの、アパートまでの道案内をさせる事になってしまったのだ。
 本当に申し訳ないです。
 もっと早く謝りたかったけれど、今日の平和島さんは朝から外回りの仕事が忙しかった様で、顔を合わせる機会が全く無かった。
 どうやら休憩も外でとったらしい。
 一人で飲む為にお茶を淹れるのも勿体無い気がして、近くの自販機で買ってみたものの、飲み慣れていないからか少し味気なく感じた。
 迷惑をかけた事に頭を下げて謝罪すると平和島さんは「いや、気にすんな」と言ってくれた。
 けれど、その声の調子に少し違和感を覚えた。
 もしかしたら一日中外を歩き回って疲れたのかもしれない。

「平和島さんお茶でも淹れましょうか?丁度、今日出そうと思ってた甘味も−−」

「悪ぃけど……今日はもう帰る」

 甘味もありますよ−−と言いかけたところで、私の声は平和島さんに遮られる形になった。 私は驚いていた。
 それが表情に出てしまったらしく、平和島さんはバツが悪そうに視線を逸らす。
 何か気に障ることを言ってしまったのだろうかと思い、改めて平和島さんの表情を伺おうとするが、残念な事に上手くそれを読み取れない。

「……」

「……」

 この違和感は何だろう。
 何かと聞かれても、上手く言葉で表現出来ない。
 けれど−−何か言いようのない引っかかりを覚えたのは確かだった。
 続いた沈黙に耐えきれず、先に口を開いたのは私の方だった。

「……そう、ですか。お疲れ様です。明日はお休みなのでゆっくり休養をとって下さいね」

 そんな違和感の正体が分からないまま、去りゆく平和島さんの背中を見送る。
 何故か、左の胸に痛みを感じながら−−
 彼の姿が見えなくなっても、暫くその場を離れる事が出来なかった。




***





 翌日−−
 昨日からの違和感がスッキリしないまま、私はいつも通り仕事に勤しんでいた。
 あのまま自宅に滞在しているいーちゃんに相談してみようかと思ったけど、彼も忙しそうな為に何だか憚られた。
 この感覚は一体何なのだろうか−−?
 モヤモヤと霞がかっている様で、何が何だか全く分からない。
 どうして、それが起こるのか
 どうして、そんなモノが私の中にあるのか
 どうして、ずっと苦しいままなのか
 自分の事なのに
 自分の身体の事なのに−−
 何故こんなに分からないのだろう。
 こんなにも、自分の事が分からないなんて初めてだ。
 初めて過ぎて、こんな時どうしたら良いのか分からない。

 −−ズキン

 −−ズキン

 −−ズキン

 この胸の痛みの理由も、分からない。
 病気でも怪我でもない事はハッキリと分かるのに、原因が分からない。
 分からない事が、気持ち悪い−−
 まるで自分の中で色々なものがグチャグチャになり、理不尽にかき回されて、押し潰されそうになる。
 何だコレは−−
 こんなの要らない。
 私はこんなの欲しくない。
 早く消えてしまえ−−そう思えば思う程、それは私の中で大きくなっていく。
 いつか自分が押し潰されてしまうのではないかと、そら恐ろしくなる。

「西東ちゃん、大丈夫か?」

「え……何がですか?」

「何って……顔色悪いべ。まだ調子悪いんだろ?」

「いえ、大丈夫で−−」

「いやいや!その顔で言われても説得力ないから!」

 良いから、ちょっと休みなさい−−そう言われるがまま、私は田中先輩によって休憩所まで連行されてしまった。
 先輩が有無を言わせず私を連れ出した事から、相当な顔色の悪さだったのだろう。
 思わず溜め息を漏らすと、一度席を外した先輩が丁度戻ってきた。
 その両手にはマグカップが握られていて、先輩は片方をこちらに差し出した。
 私はそれを受け取りお礼の言葉を口にする。

「……ありがとうございます」

「どーいたしまして。まあ、普段の紫ちゃんが淹れてくれる物と大した事ないべさ」

「そんな事ないです……美味しいです」

 先輩が作ってくれたのは、ホットミルクだった。
 一口飲むと身体全体に少しばかりの甘味と、温かさが広がっていく。
 一時的にでも体温が上がったせいか、先程までの胸の痛みが少しだけ緩和される気がした。

「−−それで、静雄と何かあったか?」

 突然かけられた言葉に、思わずカップを見ていた視線を上げ先輩へと向ける。
 すると私の顔見た田中先輩は「やっぱりな」と言い出しそうな表情で苦笑していた。

「ここ何日か様子がおかしいと思ってたべ。紫ちゃんは会社休むし、静雄はずっと落ち着きが無いし……」

 そこで自分用に淹れた珈琲を一口飲む為に言葉を区切る先輩。
 私は後に続く言葉を待った。

「昨日なんか、アイツが紫ちゃんを避けてる気がしてさ−−これは何かあったなって思った訳よ」

「……やっぱり避けられてましたよね、私」

 指摘されるまでもなく、本当は自分でも分かっていた。
 でも−−それを認めたくなくて、気付きたくない自分がいて、それで敢えて考えない様にしていた。
 分からないフリをしていた。
 無かった事にして、目を逸らしていたかった。
 昨日にしたって、私は平和島さんの身体を気遣う風に自分を納得させて、彼に理由を聞こうとしなかった。
 向き合おうとせずに、逃げだした。
 私は−−
 いつから、こんなに臆病になってしまったのだろう。
 いつから、こんなに弱くなってしまったのだろう。

「先輩……私、変なんです」

 そう言いながら、自分の左胸に手を当てる。

「昨日から、ずっと《ここ》が痛いんです」

 まるで−−

「ずっと《ここ》が苦しいんです」

 初めて涙を流したあの日みたいに

「先輩、教えて下さい−−」

 コレは何ですか?

 何で私は、こんなにも悲しくて辛いと感じているのですか?

 私は−−どうすれば良いのですか?


.

 

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