仔狐シリーズ

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「セクハラ教師が、杏里につきまとっている」

 そう正臣君から相談を受けたのは、二月の上旬のことだった。
 セクハラ−−セクシャルハラスメントの略−−ではなくて、正式には《セクシュアルハラスメント》の略。
 意外と知られていないが、辞書で引くとこうなっている。
 まあ、簡潔にいうと《性的嫌がらせ》である。
 主に職場内で行われるらしいが、最近では教師から生徒への行為も問題視されているとか。
 全く……神聖な学びやを一体何だと思っているのだか。
 しかも、今回は被害者が他ならぬ杏里ちゃんだ。
 流石に知り合いが被害に遭っているならば、私も放ってはおけない。

「で、その不届き者の名前は何ていうの?」




***





 那須島隆志−−これが、正臣君から聞いた件のセクハラ教師の名だった。
 正臣君の話や、私が少し調べたところによると、この教師に猥褻行為をされた生徒は、杏里ちゃん以外にも多くいる。
 未遂も含めると数は倍以上になるだろう。
 来良での評判は非常に悪く、たいていの女子生徒からは嫌われ、無視されているようだ。
 中には杏里ちゃんみたいな対応をする子もいるようだが、何を勘違いしたのか那須島はそれを「自分に気がある」と自分勝手に解釈し、その生徒に付きまとうようになるらしい。
 これは去年の話だが、那須島と二年生の女子生徒(正臣君達の一つ上の学年にあたる)の交際が表沙汰になりそうになったことがある。
 蓼食う虫も好き好き……と言うけれど、この世には物好きな子もいたものだ。
 対面を気にした学校側の働きもあり、女子生徒は二学期の途中で近隣の高校へ転校。
 こうして那須島のターゲットは、女子生徒から杏里ちゃんに変更されたというわけだ。
 そうそう。
 話を聞いた時から覚えがある名だと思って記憶を遡れば、なんとこの那須島−−ウチの会社の顧客(借金滞納者)名簿に載っているではないか。
 しかも、返済期限を既に過ぎているためブラックリスト入りも果たしている要注意人物だ。
 お金で色を買うだけでは飽きたらず、自分の教え子にまで手を出すとは−−この人の人間性は最低ランクと言えるだろう。
 よくもまあ、こんな人間が今まで教職者としてやってこれたものだ。
 そんな教師を処罰せず、野放しにしている学校にも問題がありそうだ。
 そう思い調べてみると、こんなことが分かった。
 来良学園は、数年前まで《来神高校》という名前で、あまり良い噂を聞かないことで有名な学校だったらしい。
 そのうち生徒数の定員割れが深刻化した結果、同じような状況の学校との合併が決まった。
 私立の学校のため学校と言えども、人を集めてお金を取る以上、商売は商売。
 理事会も生徒数を稼ぐため、新しい学校へのイメージ戦略に必死なのだろう。
 だからこそ−−表沙汰に出来ないことを隠蔽してしまいやすい状況にある。
 今でこそ、都内でも受験生に人気な高校として知られる来良にも、こんなお家事情があるわけだ。
 那須島がそれを知っていて、猥褻行為を続けているのであれば……それはもう、悪質極まりないだろう。
 この件は、根本的な問題をどうにかしなければいけない気がした。




***





 相談を受けた翌日、私は学校帰りの正臣君と、喫茶店で待ち合わせをしていた。
 ここは、前にも姉と来たことのある店で、相変わらず人気はない。
 先に着いた私が一杯目の紅茶を飲み終えた頃、正臣君が姿を現した。

「紫さん!すみません、遅くなって!」

「大丈夫だよ。道には迷わなかった?」

「あはは、ほんのちょーっとばかし迷っちゃったり」

「そう?思ったより早かったよ」

「俺も池袋に結構いるけど……この店とは初めて知ったなあ」

「ここは穴場だからね。今度は帝人君達も誘おうか」

「あいつらも喜びますよ」

 正臣君は私の向かい側に座り、それを見計らったように店長がメニュー表を持ってくる。
 好きなものを頼めばいいと伝えれば、彼は嬉しそうにパフェを指差す。
 私も紅茶のおかわりをお願いすると、店長はにこやかに微笑みながら店の奥へ姿を消した。
 そして、本日の本題。
 昨日話を聞いた後に、那須島について調べた結果を、教えていく。
 私の語る那須島の実態に、正臣君は珍しく顔をしかめ、嫌悪感を露わにしていた。
 当然の反応だが、よほど那須島がお気に召さないらしい。
 こちらも、話していて気分の良い話題ではない。
 話し終えたところで、注文していた紅茶とパフェが運ばれてきたが、正臣君はそれに手をつけなかった。

「−−そういうわけで、学校側からの対応を望めない今、一番の対処方は《那須島と距離を置く》−−簡単に言えば《無視する》なんだけど」

「……杏里の場合、それはムズいなあ」

「まあ、そうだよね」

 初めからそれが出来るなら、現在も那須島に言い寄られてはいないだろう。
 杏里ちゃんは自分の中で、他人との間に確かな距離を保つことの出来る子だ。
 自分は、荒波を立てずに生きていたい−−そう願い、生きている子だ。
 だから普段は、その距離を維持するだけで、ある程度の人付き合いに支障はないだろう。
 けれど、物事には《例外》というものがある。
 杏里ちゃんにとってのそれが、運悪く那須島だったというわけだ。

「次に有効なのは《第三者からの指摘》だけど……帝人君は気付いてるの?」

「杏里が受け答えに困ってそう……ってのは分かってると思うけど、セクハラまでは頭回らないかもなあ」

「……他の生徒は見て見ぬふりをしてるのかな?」

「いや、クラスの女子とか中学で仲が良かった張間ちゃんは『危ない』って、杏里に警告してたみたいですね」

「でも、直接二人がいる所で指摘した人間はいない−−と」

「そうなんスよ……那須島のヤローも、人気のない所で接触してくるみたいで」

「なるほど」

 那須島にも、一応人気を憚るという意識はあるらしい。
 その態度は周囲にバレバレでも、相手へ直接的な接触には慎重でいる。
 いつかの時みたいに、監視カメラがあれば証拠映像を抑えることもできるけれど……私立と言え、流石に校内にまでは設置されていない。

「そうなれば……やっぱり」

「《俺が現場に居合わせる》ことが一番手っ取り早い……ですよね?」

「正解」

 正臣君と杏里ちゃんはクラスが違うため、難しいところもあるけれど、現状で一番しておきたいのが《園原杏里には、紀田正臣君という監視・牽制役がいる》と、那須島に認識させることだ。
 正臣君は、その性格を活かして築いた人脈もあるため、校内の噂には敏感だ。
 そんな彼の目が光っていると那須島が意識すれば、校内での接触を持ちにくく出来るはず。
 正臣君の達者な話ぶりで、そう那須島に意識させるのは容易いだろう。

「この際、遠慮なんていらないよ。那須島と杏里ちゃんが二人のところを見かけたら、直ぐに携帯電話で会話を録音−−いえ、いっそのことムービー機能で録画しましょう。

「ギリギリまで待って−−那須島が杏里ちゃんに直接接触するか、正臣君が『危ない』と思ったら、そこで君の登場です。

「そこからは正臣君の裁量に任せますが−−そうですね、最初は出来るだけ明るく茶化すような口振りがいいでしょう。その方が相手の感情を逆撫でし、冷静さを欠くことが出来ます。

「直に、那須島は君に腹を立てながら『それが教師に対する態度か?』なんてお決まりの言葉を口にするはず。話題を自分の問題から、君の態度へすり替えようとしてきます。自分のことは棚に上げて……まったくもって、みっともないことでしょう。

「そこで、レコーディングしていた携帯電話の登場です。初めにも言いましたが、那須島相手に遠慮なんて必要ありません。−−そうですね、学校とは《学ぶ場所》なのですから、この機会に裏っぽい駆け引きでも教わっておいた方が、後学には良いでしょう。《交渉》内容も、お任せします。勿論……杏里ちゃんのいない所でして下さいね」

「……俺、初めて紫さんが怖いと思った」

「軽蔑しますか?」

「まさか!紫さん最高!惚れ直した!流石はマイ・スイート・ティーチャー!」

 そう言って興奮さめやらぬ面持ちの正臣君に、苦笑する私。
 ついつい話に熱が入るあまり、言葉遣いも元に戻ってしまったと反省する。
 ふと、正臣君のパフェのアイスが溶けかけていることに気づき、食べるよう促す。
 彼が慌てながら食べる様子を微笑ましく見つつ、私は温くなった紅茶を口にした。
 やっぱり、ここの紅茶は冷めても美味しかった。




 その後。
 正臣君から「作戦が成功した」と連絡がきた。
 彼曰わく《交渉》を持ちかけた時の那須島の顔は、たいそう滑稽だったそうだ。


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