仔狐シリーズ

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「この辺りだよな。先月来良の生徒が斬られたのってよ」

 アパートの近くの道を進む車内で門田さんの呟きが聞こえてきた。
 彼の言う通り、この近くにある狭い路地で通り魔事件は起きた。
 あの時、たまたま近くを歩いていた私が倒れている被害者の少女達と杏里ちゃんを発見したのを思い出しながら、ふと窓の外を見る。
 街灯の少ない路地は真っ暗で、頼りになるのは月明かりや、少し離れた繁華街から漏れる僅かなネオン。
 そんな環境下において、私の目は路地を歩く人影を発見する。
 それは間違い無く、探し人である杏里ちゃんだった。

「渡草さん!止めて下さい!」

「うおっ!?」

 大声を出してしまったせいか、渡草さんが慌ててブレーキを踏みワゴン車が急停止する。
 反動で車内が揺れるのも構わず、私はドアを開けて外に出た。

「さ、西東!?」

「すみません、ここまでありがとうございました!」

 御礼はまた改めて−−と門田さん達に言い残し、私は足早にその場から立ち去る。
 目の前にある角を曲がれば数メートル離れた場所に、先程見つけた杏里ちゃんの後ろ姿を確認出来た。
 やはり、まだアパートには帰っていなかったのか、彼女は制服姿のままだった。
 こんな時間なのに、補導されていないのが不思議なくらいである。

「杏里ちゃん!」

「え……紫、さん?」

 あと数歩の距離まで近付いた所で声をかけると、杏里ちゃんは少し驚いた様子で振り向き、歩く足を止めた。
 私は完全に追い付くと彼女の隣りに並ぶ様に立ち、改めて話しかけた。

「こんばんは、杏里ちゃん」

「こんばんは、紫さん。今日は帰るの遅いんですね」

「杏里ちゃんもね……こんな時間に出歩いて、どうしたの?」

 とりあえず正臣君からの電話の事は伏せて出歩いていた理由を尋ねると、杏里ちゃんは少し困った様な表情で答える。

「ちょっと考え事をしてたら、こんな時間になってしまって……」

 さっきもお巡りさんに心配されてしまいました−−と語る杏里ちゃんに、私は苦笑する。
 −−まさか既に補導されかけていたとは。
 恐らく見回り中の警官も最近は通り魔事件のせいで忙しい為、見た目が大人しそうな杏里ちゃんは「早く帰りなさい」と忠告だけで終わったのだろう。

「−−気をつけないとダメだよ。正臣君と帝人君も心配するし、私だって杏里ちゃんに傷ついて欲しくないからね」

「紫さん……」

「ほら、早く帰ろう?」

 私が手を差し出すと、杏里ちゃんは一瞬キョトンとした表情を見せたが、直ぐに意図を察したらしい。
 彼女も同じ様に手を伸ばし、後少しで互いのそれが重なろうとした所で私はある気配に気付いた。
 −−明らかに、こちらの様子を窺っている。
 その隠そうともしない《悪意》を辿って視線だけを動かせば、犯人は意外と近くに居た。
 目深に被った帽子にコートを着た男−−年齢は恐らく四十代ぐらい。
 その出で立ちに僅かな既視感を覚えながらも、直ぐには思い出せなかった私は、視線を戻して杏里ちゃんの手を取る。
 そしてギリギリ彼女だけに聞こえる声量で語りかけた。

「杏里ちゃん……声を出さずに良く聞いて」

「……?」

「誰かに尾行されているみたい……次の角を曲がったら、一人で走ってアパートまで逃げて」

 正直言って、このまま二人で居たのでは男に追いつかれる可能性が高い。
 それならば、私が囮になって杏里ちゃんが逃げれるだけの時間を稼げば良い。
 私だけなら、何があってもどうにか対処出来るだろう。
 相手が通り魔事件と関係があったとしても−−だ。
 この提案を聞いた杏里ちゃんは何か言いたげな様子だったけれど、時間を惜しんだ私は彼女の手を引いて歩き出す。
 すると予想通り−−男も一定距離を保ったままで、後を付いて来た。
 幸いにも、尾行に気付いた事は相手に伝わっていないらしい。
 曲がり角までの短い距離を歩く中、繋いだ杏里ちゃんの手が微かに震えているのが分かり、「大丈夫だよ」と言う代わりに彼女の手をギュッと握った。
 そして、辿り着いた曲がり角−−完全に男の死角に入ったタイミングで、私は杏里ちゃんの背中を押す。

「走って!」

 小声で発したそれは彼女に届いたらしく、直ぐに男を待ち構える体勢に入った私の耳には、この場から立ち去る足音が聞こえた。
 
 さあ−−
 ストーカー男とご対面だ。




***





 自分達の後をつけてきたストーカー男。
 遅れること数秒−−角を曲がり現れたその姿を近距離で改めて見た瞬間、私は内心で驚く事になる。
 先程感じた既視感は間違っていなかった。
 何故なら、私は目の前に居る男と会った事があったからだ。
 以前、平和島さんに取材を申し込んできた時に取り次ぎ、そして見事に彼の怒りを買ってしまった雑誌記者−−それがストーカー男の正体だった。
 確か、彼の記事が載るのは所謂ゴシップ雑誌だ。
 もしかして、通り魔事件事件を間近で目撃した杏里ちゃんの事をどこかで聞きつけて、付け回していたのだろうか?
 −−それはそれで迷惑な話に変わりないのだけれども。

「雑誌記者の方……ですよね?こんな時間に、女子高生の後を付けて回るなんて不躾ではないですか?」

 男が私の事を覚えているか分からないけれど、こちらが相手の身分を知っていると示す事で、先ずは牽制をかける。
 ここで大人しく引いてくれたなら話が早かったのだけれど、そうは問屋が卸さない。
 記者の男が懐に手を伸ばす。
 取り出したのは、包丁−−何の変哲もない、普通の包丁だ。
 そして男の瞳を確認した瞬間、私は警戒態勢を取り反射的に身体を後方へと移動する。

「ッ−−?!」

 記者の男は、何の躊躇いもなくこちらに向けて包丁を振り回したが、その切っ先が私に届く事はない。
 それは十分に避けられる、素人の動きだった。
 私《的》に向かって、闇雲に包丁を動かす−−ただそれだけなら、以前カラーギャングに絡まれた時の様な対応をすれば良い。
 けれど今回は、あの時と状況が違う。
 私が『他者を傷付ける』事を目的に動く素人を相手にして、反射的に警戒態勢をとらざる負えなかった理由。
 それは−−

「うふふ、貴女強いのね−−」

「私の一撃を避けるなんて、凄いじゃない」

「邪魔者には、さっさと退場してもらおうと思っていたのだけど−−」

「決めたわ」

「貴女も、私が愛してあげる−−」

 口角を上げながら女性的な口調で笑みを浮かべる記者の男。
 彼の瞳は、暗く街灯の少ない路地でもはっきり分かる程、赤色に染まっていた。
 私にとって赤は、姉を思い出す色である。
 けれども男の放つそれは、ねっとりと纏わりつく様な−−それこそ取り返しのつかなくなる様な気味の悪さを感じさせる。
 私はそれを見た瞬間、直感的に−−そして本能的に、警戒態勢をとった。
 この感覚を、私は前にも体感した事があった。
 昔、父の部下であった一人の青年・奇野頼知との初対面が正にそれだ。
 病毒遣い−−奇野師団。
 暴力の世界を二分する《呪い名》序列第三位。

 そう、私が男の赤い瞳を見た時に感じたモノは《呪い名》を目の前にした時と同じだった。
 今現在、この街において《呪い名》に関係があるモノ−−
 その正体を、私は知っている。

 妖刀−−罪歌。
 《呪い名》序列第二位の罪口商会縁の、人を愛し、自分の意思である《子》を植え付け、意のままに操る−−刀。

 目の前にいる男の中に罪歌の意思が宿っている事を、私は理解したのだった。



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