仔狐シリーズ

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(静雄視点)

 西東が会社を休んだ。
 理由は体調不良らしい。
 思いだすのは昨夜の出来事−−倒れたのが体調不良の原因なのかと頭を過ぎったが、同時にあの時西東と一緒に居た男が「心配ない」と言っていたのを思い出す。
 −−あの後、西東は目を覚ましたのだろうか。
 色んな事が気になり過ぎて、この日の俺は仕事に身が入らなかった。
 トムさんにも「お前も風邪か?」と心配をかけてしまい、申し訳なくなる。
 それ程気になるなら、連絡の一つでも取れば良いと思う反面、今の状態で西東と会話する事を恐れる自分がいる。
 昨夜から続く苛立ちに任せるまま、自分が何を言い出すか分からない。
 その結果、西東を傷つけてしまうかもしれない−−
 臆病な俺は、そう考えるだけで携帯に伸ばした手を何度も引っ込めていた。




***





 その翌日。
 西東は何時も通り出社した。
 朝から仕事で遠出していた俺がその事を知ったのは、昼飯前−−他の先輩からトムさんに連絡が回ってきてからだった。
 トムさんは「休憩は事務所に帰るべ?」と声をかけてくれたが、悩んだ末に俺はそれを断った。
 理由は前日と同じ−−電話越しですら冷静でいられないのに、アイツと直接会うにはまだ自分の中で整理がついていない。
 問題は一日二日でどうにかなる程、単純で簡単なものではなかったのだ。
 だが、そんな俺の心情を嘲笑うかのように時間は過ぎ、事務所に戻る時刻は直ぐにやってくる。
 何時もより数倍重く感じる脚を動かして、トムさんに遅れること数分。
 事務所に顔を出せば、つい癖でアイツの姿を探してしまった。
 西東は自分の席でトムさんと話していた。
 その顔色は何時もと変わり無いように見える−−やっぱり体調に問題は無い様らしく、内心で安堵する。
 それとほぼ同時に、トムさんとの会話を終えた西東が俺の存在に気付いた様子で、こちらに向かって歩いてくる。

「平和島さん」

 聞き慣れた心地良い声で名前を呼ばれるのも、出会った頃よりずっと豊かになった表情や雰囲気も−−普段なら癒やされる要素の筈が、今はどうだろうか。
 西東が近くに居るだけで、自分の中に燻っている衝動が抑えられなくなる。
 衝動的に西東を傷つける言葉を吐かないようどうにか耐える為に、なるべく視線を合わせず口数も少なくした。
 西東は一昨日の事を気にしている様で申し訳無さそうに何度も謝ってくれた−−あれくらい気にしなくても良いのに、律義な奴だ。
 いつものように茶を淹れるという申し出を断り、この日は直ぐに会社を後にした。
 ドアが完全に閉まるまでの間、ずっと感じていた西東からの視線に気付かないフリをして−−




***





 翌日は俺が会社を休んだ。
 体調不良だとかそんな大層な理由ではなく、シフトの予定上やってくるただの休日だ。
 家に居ても特にする事もなく、余計な事を考えて苛つきそうだったので外に出た。
 いつものように売られる喧嘩で少しばかりの鬱憤晴らしをするものの、なかなか頭の中がスッキリしない。
 昼飯と甘いもんでも口にするかと近くのコンビニへ立ち寄った瞬間、思いも寄らぬ人物と出くわす事になった。

「あれ?君は確か……静雄君?だっけ?」

「……どうも」

 目の前に居るのは、あの夜に出会った西東の知り合い−−相変わらず黒いコートを羽織っている。
 もう会う事は無いだろうと考えていたが、こんな場所で再会するとは思ってもいなかった。

「奇遇だね、お仕事中かい?」

「いや……今日は休みなんで」

「あれ?でも紫ちゃんは朝仕事だって家出たけど」

「ウチはシフト制なんで」

 そう答えれば、男は納得した様だった。
 ……てか、おい。
 まさかこの男、あれからずっと西東の家に転がり込んでるのか?
 アイツは未成年で嫁入り前の女だぞ!?
 西東も西東だ。
 いくら知り合いだと言っても、男を簡単に何日も自宅に泊めるなよ−−男ってのは、ふとした事で急に狼になっちまうんだからな!
 頼むからもう少し、女としての危機感を持ってくれ!
 いつも完璧に見える西東の抜けた一面を新たに発見できて嬉しいやら、頭を抱えたくなるやらで葛藤してしまうのは、自分でも相当だなと−−それ程、俺はアイツの事が好きなんだなと思う。
 本人を目の前にして昨日の様な態度しかとれない臆病者の癖に、この想いだけは他の誰よりも強い筈だと信じている。
 我ながら、そんな自信がどこから来るのか知りたいものだ。
 さっさと会計を済ませて、近くの公園で弁当を食おうとレジに向かおうとした俺の行動を遮る者が居た。
 それは勿論、あの男である。
 つい訝しげな視線を送ってしまったが、男は気にする素振りを見せる事なく、代わりに口を開いた。

「静雄君、ここはぼくに奢らせてくれないかな?」

「……は?」

 突然の申し出に、拍子抜けしてしまった。
 この男は突然何を言い出すのだろうか。
 驚く俺を置いて男の言葉は続いていた。

「勿論、他に食べたい物があるならそちらでも構わないよ」

「いや……まず、あんたに奢られる理由がねぇっスよ」

「それがね、ぼくには有るんだよ−−」

 男の瞳が−−全ての色を混ぜ合わせたような掴み所の無い瞳が、ジッと此方を捉える。
 一瞬、背筋をゾッと何かが這い寄る様な感覚が襲った。
 そして俺は、この男から逃げられない事を悟る。

「ぼくの話に少しだけ付き合って欲しいんだよ−−平和島静雄君」

 その言葉に、俺は頷く事しか出来なかった。



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