仔狐シリーズ

□21
1ページ/1ページ



 岸谷家をあとにしてから数分後。
 街中を進んでいたところ、スーツのポケットに入れていた携帯電話が着信を告げた。
 足を進めたまま画面を確認すれば、正臣くんからの電話だった。

「こんばんは、正臣くん。どうし−−」

『紫さん!今家に居るっ?!』

 挨拶をする暇もなく、こちらの言葉を遮った余裕の無い彼の声に、私は嫌な予感を覚えながらも、そのまま通話を続ける。

「正臣くん、何かあったの?」

『あ、あの……少し、杏里の様子が気になって……』

 学校と杏里ちゃん。
 それらの単語を聞いて一番に思い浮かぶのは、例のセクハラ教師・那須島の一件だ。
 以前、正臣くんに指示した牽制で暫くは時間が稼げると思っていたのに−−読みを間違えただろうかと不安が頭を過ぎる。

「……また那須島関係で何かあった?」

『それも、あるけど……なんつーか、今日は少し上の空って感じだったから、嫌な予感がして−−』

 何やら考え込んでいる様子の彼女を心配した正臣くんが、帰宅時間を狙って電話をかけたものの、着信に気付かないのか杏里ちゃんからの反応が返ってこないと言う。
 そして、無事帰宅したのかだけでも確かめる為、この時間アパートに居るであろう私に確認したかったそうだ。
 けれど生憎タイミングが悪い事に私はまだ街中に居るので、杏里ちゃんが在宅なのか分からない。

「ごめんね、私も直ぐに帰るから。とりあえずアパートに着いたら連絡するよ」

『わかった。じゃあ俺は−−』

「正臣くん、今は焦って動いてはダメ。前に約束したよね?」

『わかってる……でもっ−−!』

 焦るような正臣くんの声に、私は少し危機感を覚えた。
 この子は人一倍、仲間や友達思いだ。
 それは彼の長所であり、また同時に短所でもある−−
 自分が傷付くのは我慢出来ても、身内の事になると冷静でいられなくなってしまう。
 そこに漬け込まれ、痛い目を見る事になるのは正臣くん自身も経験上、嫌と言うほど分かっている筈だ。
 けれど−−例え頭で理解していても、心がついていかない事もある。
 だからこそ、今の彼に焦りは禁物だった。
 でないと、過去の二の舞になってしまうのだから−−

「−−正臣くん、今キミが《黄色》を動かそうとしたら街が混乱するかもしれない」

『けどっ−−』

「キミが、ダラーズとの噂を知らない訳ではないでしょ?」

『っ……』

 現在、池袋の街を騒がす切り裂き魔事件。
 三月に入ってから被害者は更に増え、中にはカラーギャングのメンバーも居ると聞く。
 仲間を傷付けた件の犯人を巡り、街を二分するカラーギャング−−《ダラーズ》と《黄布族》の双方が相手を疑い、水面下で睨み合いが生じていると最近では専らの噂だ。
 そんなギリギリの所で保たれている現状が崩壊すれば、この街は余計に混乱するだろう。
 黄布族の《将軍》である正臣くんの行動は、それを招きかねない。
 いくら彼が『引退した』『個人の問題だ』と言い張ったとしても、いざカラーギャングとしての《力》を使うとなると、そんな理屈は通らないだろう。
 世間では『黄布族がダラーズに手を出した』とみさなれるかもしれない。
 何よりも正臣くんと、ダラーズの創始者である帝人くんは、お互いにカラーギャングと関わっている事を知らない。
 二人の為にも、双方のグループが衝突するのは避けたいところだった。

「今は下手に動かない方が良い……杏里ちゃんの事は絶対に見つけるから」

『紫さん……』

「大丈夫だよ、正臣くん。今回の事が落ち着いたら、また帝人くんや杏里ちゃんと遊ぼう」

 約束通り、この前の喫茶店にもみんなで行こうね−−と言えば『うん』と返事が聞こえてくる。

『紫さん……杏里の事、お願いします』

「ありがとう、正臣くん」

 私を頼って、信じてくれて
 ありがとう−−




***





 通話を終え、杏里ちゃんの在宅確認の為も、一度アパートへ戻ろうと進路を変更しようとした時だった。
 ふと聞こえた道路側から呼ばれる声に反応すると、見覚えのあるワゴン車が直ぐ横に止まっていた。
 窓から顔を出したのは、門田さん御一行だ。

「久しぶりだな、西東」

「こんばんは」

 最初に声をかけてくれた門田に挨拶を返した。

「紫ちゃん、ヤッホー!こんな時間に何してるの?」

「最近は通り魔も過激だから、女の子が一人だと危ないっスよ!」

「帰宅途中なんです。皆さんも車から降りた時は気を付けて下さいね」

 身を案じてくれた狩沢さんと遊馬崎さんにお礼の言葉を返す。
 ワゴン車内に居れば、刃物で襲われるリスクも低い筈だ。

「なんななら送ってくぜ?」

「え……良いんですか?」

 早くアパートへ戻ろうとしていた私にとって、そんな渡草さんからの申し出は有り難いものだった。
 ここは素直に甘える事にし、ワゴン車に乗り込んだ私は狩沢さんの隣りに腰かける。
 発進すると同時に、車内は賑やかな空気に包まれた。

「紫ちゃん、見て見て!これ、ゆまっちが自費出版した小説なんだよ!」

「うわぁー!!ちょ、止めて下さいっス、狩沢さんっ!」

「良いじゃん!紫ちゃんに読んで貰って感想言ってもらおうよ!」

「それだけは!それだけはご勘弁を……っ!」

「おい、お前ら少しは落ち着け……」

 目の前の助手席から門田さんの少し呆れ混じりな声がして、狩沢さんが「はーい」とのんびりな返事をする。
 遊馬崎さんは自費出版したという小説を見ては悶え、渡草さんの溜め息が聞こえる。
 そんな彼らのやり取りを見て、思わず笑みが零れてしまう。
 最近は少し張り詰めてばかりだったせいか、いつも会う時の彼らと変わらない雰囲気に和まされた。

 私も早く平和島さんと−−

 そこまで考えたところで、ふと我に返る。
 平和島さんと−−その後に続く言葉は、一体何だろう?
 今みたいにギクシャクしたものではなく、いつも通りの関係に戻りたいと言う気持ちは確かに有る。
 だけど−−何故だろう。
 それだけでは足りない−−そう思っている自分が居る。
 今のままでは嫌だと、もっと先の《何か》を望んでしまう。

 今より、もっと話がしたい
 今より、もっと近くに居たい
 今より、もっと触れ合いたい

 そんな「もっと」と言う気持ちが、考えれば考える程に溢れ出し強くなっていく。

 ああ−−
 私はいつの間に、こんな欲張りな事を考える様になったんだろう。


 平和島さん

 貴方に、会いたいです−−


 思わず声に出してしまった小さな呟きは、誰に聞こえる事もなく賑やかなワゴン車内に溶けていった。



.


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ