折原兄シリーズ

□俺と第二ボタン
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俺と第二ボタン


 卒業式の定番『好きな人の第二ボタン』の話を、ご存知だろうか?
 前の俺が制服を着ていた頃は割とポピュラーな話だったのだが、今時の若い子が知っているか分からないので(これをジェネレーションギャップと言うのだろう)、最初に簡単な説明をしておこう。

 第二ボタン−−これはまあ、そのままの意味で服の上から数えて二番目に位置するボタンのことで、今回の話で言うところの《第二ボタン》とは、男子の制服のものを指す。
 そして女の子が好意を寄せてる男子から第二ボタンを貰う−−と言う行為が、卒業式やその前後に学生の間で行われる。
 これがいつからある風習なのかは知らないが、戦時中も出兵する男が彼女に形見としてボタンを残すという行為があったそうだ。
 まあ現代では《フリーの男子に第二ボタンをねだる=告白》というのが暗黙の了解みたいなものなので、そこで新たなカップルが誕生したり、はたまた残念な結果に終わる場合もあるだろう。
 中には複数人から求められる場合もあるらしい。
 前の俺が高校で出会った友人(顔良し・体型良し・頭良し・運動神経良し)曰わく『中一〜三年まで毎年のように、第二ボタン争奪戦が勃発していた』とのこと。
 その時は冗談半分に話を聞いていたが、それからの高校三年間も友人の第二ボタンは女の子達に奪われ続けたのだった。
 正直、あの時は友人に近くのが怖かった……

 さて、そもそも貰うものがどうして《第二ボタン》なのかといえば様々な説がある。
 特に一番有名なのが《心臓に一番近いから》という説だと思われる。
 心臓に一番近い第二ボタンを得ることで、好意を寄せる相手の《心》が自分と共にあると実感していたらしい。
 昔の人はよく考えついたものだ。

 で、俺が何故こんな話をするのかというと−−中学卒業まで残り一週間になった日に、そんな話を兄貴風吹かせて弟に語ったことが、今回の出来事の始まりだったからだ−−




***





「梓おはよー……って、その顔はどうしたんだい?」

「……あー新羅か、おはよ」

 《卒業式まであと3日》と書かれた文字を消さないよう黒板の汚れを拭き取っていた俺の前に登校してきた新羅が現れた。
 新羅は俺の顔を見ると、あからさまに驚きの表情へ変わった。

「目の下の隈すごいけど、寝不足?」

 俺が早寝早起きなのを知っている新羅が、珍しいものでも見るように顔を覗き込んできたので、俺は正直き答えた。

「臨也がなかなか寝させてくれなかったんだよ」

「え、キミ達いつの間にそんな関係になってたんだい?ちなみにどっちが下に」

「アホか!誰もそんなこと言ってねえよ!」

 ニヤニヤしている新羅に、激しく突っ込みを入れた。
 俺は一度溜め息をついてから、説明をやり直す。

「《第二ボタン》の話って知ってるか?」

「うん、好きな人のボタンを貰うってやつでしょ?」

「そう。それをこの前、臨也に話したんだよ」

「あー、なるほど。それは厄介だ」

 今回は皆まで言わずとも合点がいったらしい。
 新羅から同情を含んだ視線が送られてくる。
 そう一週間前のあの日、何の気まぐれからか昔聞いた《第二ボタン》の話を弟にしたところ、あいつはこんなことを言ってきた。

「梓の第二ボタンが欲しい」

 −−と。
 それからと言うもの、暇さえあれば「ボタンちょうだい」と強請ってくる弟と、平穏を愛する俺との間では熾烈な戦いが繰り広げられているのだ(主に消費されているのは俺の精神力と睡眠時間)
 いや……だって男(しかも弟)にあげても意味ないじゃん。
 そもそも、何であいつは俺のボタンなんか欲しがるんだ?

「もう観念して臨也にあげちゃえば良いのに」

「いや、意味が分からない」

「はあ……臨也もあれだけど、梓も相当だよね」

「?」

 憐れむような視線を向け、大袈裟にため息をつく新羅。
 その真意が分からない俺は思わず顔をしかめるが、そこでタイミング良く始業のチャイムが鳴った。
 理由を聞こうにも、新羅はさっさと席に座ってしまったので、俺は黒板消しを置いて自分の席へ戻る。
 後でもう一度問いかけてみたが、新羅は黙って笑みを浮かべるだけだった。




***





「おはよう梓、今日こそボタンちょーだい!」

「………」

 卒業式当日の朝。
 俺の目覚めは弟のモーニングコールならぬ《ボタンくれコール》で始まった。
 早く起きるなんて珍しいと思いながら直ぐ近くにある弟の顔を見ると、目の下にうっすら隈が浮かんでいた。
 俺は弟の頬に手を当て、指先でそっと隈をなぞりながら問いかける。

「もしかして、寝てないのか?」

「あー……うん。梓より早く起きるより、徹夜の方が楽かなって」

「……バカだろ、お前」

 徹夜がバレたせいなのか照れ笑いをする弟の姿を見て、俺は小さな溜め息をついた。

「何でただのボタンのために徹夜してんだよ」

「ただのボタンなんかじゃないよ!」

「?」

「だって、梓のボタンだもん。梓の心に一番近いボタンだから、俺は欲しいんだ」

 だからそう言う殺し文句は女の子を口説く時に使いなさい。

 −−と本当なら言いってやりたい所だけど……まあこんな風に「梓!梓!」と言われるのも、この先減ってくるだろうし(俺と違って、弟は正真正銘・思春期で青春まっしぐらなお年頃だ)
 その内「梓なんて嫌い!近寄らないで!」なんて言われて、思春期の娘に鬱陶しがられる父親の気分を味わうはめになるのかもしれない(そうなってみないと分からないが、多分俺は落ち込んでしまうだろう)
 まあ、何が言いたいかというと《何事も好かれている内が花》という訳だ。
 他に渡す相手がいるでもないので、可愛い弟の頼みに今回はお兄ちゃんが折れることにしよう−−
 脳内でそんな結論に達した俺はベット(※二段ベッドの下)から降りて、壁にかけてある自分の制服に手をかける。
 高校でも着る予定なため、布を傷つけないように第二ボタンの根元の糸に鋏を当てて

 パチン−−

 糸の切れる音が、早朝の静かな部屋で妙に響き渡った。
 余計な糸屑を取り除いたボタンを、そのまま弟に投げる。

「ほらよ……」

「えっ、ちょ……ほ、本当に良いの?」

「良いからやったんだろ」

「これ、本当に梓の第二ボタン?」

「本当だって」

 何度も拒否してきたせいか、今一信用されていないので第二ボタンが外れた制服を見せてやる。
 すると弟は自分の手の中と制服とを何度も見比べ始めた。
 それらから漸く視線を外したかと思えば、こちらを伺うようにして

「本当に、貰って良いの?」

「……嫌なら返せ」

「い、嫌じゃない!」

「っ………」

 絶対返さないと言いながらボタンを後ろに隠す弟の行動が面白くて、つい吹き出しそうになるのをなんとか我慢する。
 多分、ここで俺が笑い出したら拗ねるんだろうなあ……
 頑張れ俺!
 俺は、やれば出来る子!
 なんとか笑いを堪えることに成功した俺は、嬉しそうにボタンを眺めている弟の頭に手を置いて軽く撫でてやる。

「ほら、後で起こしてやるから少し寝とけ」

「えー、大丈夫だって」

「なら卒業式の途中で絶対寝るなよ。サボりも禁止」

「うっ……じゃあ、梓のベッドで寝ても……良い?」
「別に良いけど」

「やった!」

 自分のベッドに上るのが面倒くさいのだろう、俺が了承すると弟は直ぐに布団に潜り込んでいった。
 それを見届けた俺は、いつも通り朝食の準備をするため自室をあとにした。

 ちなみに−−

「あ、後でボタン付け直さないと……」

 そんなことを思い出したのは、味噌汁を味見した時だった。





「あ!なんで第二ボタン付けてるの!」

「ボタン無しで式に出れるわけないだろ……」

「(梓……結局臨也にあげたのか。最初っからそうすれば良かったのに)」




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