折原兄シリーズ

□俺と珈琲
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俺と珈琲


「梓って、珈琲好きだよね」

 弟にそう指摘されたのは、中学の頃だった。
 とある休日の昼下がり。
 妹達と祖父母が出掛けるのを見送った俺は、昼食の片付けを終えて習慣になっている食後の一杯を飲もうと珈琲(インスタント)を愛用のマグカップに注ぎ、弟が居るダイニングのソファーに腰掛けた。
 そして、弟が適当に見ていたテレビ番組を何気なく眺めているところにかけられたのが、先の言葉だった。

 弟の言う通り、俺は珈琲を愛飲している。
 飲み始めたのは《折原梓》になる前だ。
 大学入学以降、課題のレポートを仕上げる為に眠気覚ましとして飲んでいたのが、何時の間にか習慣になっていたのだ。
 最初の頃はミルクを入れていたが、ある時に買い置きを切らした事があった。
 仕方なく暫くの間何も入れずに飲み続けていたところ、一度舌が慣れてしまえばブラックの苦味が癖になり、気付けば好んで飲むようになっていた。
 −−人間の味覚とは、不思議なものである。
 《折原梓》になってからは、流石に子供の舌では苦味が強過ぎたせいか、小学生時代は珈琲牛乳止まりだった。
 それでもあの苦味が忘れられず、こっそり影で努力した結果−−中学に上がる頃には再びブラックの味が楽しめるようになった。
 それからは食後などに飲むのが習慣となり、今に至っている訳だ。

「ねえ、珈琲って美味しいの?」

「あれ?飲んだ事なかったっけ?」

「あるけど……なんか微妙だった」

 こちらに向けていた視線を反らし、少し拗ねた様に唇を尖らせる弟の反応が可愛い。
 確かに−−この年で珈琲を好んで飲むのは、まだ少数派なのかもしれない。
 マグカップを持っていない方の手で頭を撫でてやれば、再び向けられた視線で『子供扱いするな』と訴えかけてくる。
 そこでムキになるのが、正に子供っぽい反応なのだと本人に自覚はないらしい。
 中学に入って以降、背伸びしたがる弟のまだまだ子供らしい面を見れて兄としては嬉しいのだが−−思春期を迎えた弟も少々難しいお年頃なのだろう。
 口には出さず、この喜びは俺の胸の内にだけ閉まっておく事にする。


「……ねぇ、一口頂戴」

「良いけど……ミルクとか入ってないから多分苦いぞ?」

 飲んでみたいならミルク入りを作ってやろうか、と提案してみたものの、それはキッパリと断られてしまった。
 弟曰わく「梓が飲んでるのが飲んでみたい」との事らしい−−。
 これは『隣の芝は青い』と言う心理と似たようなものなのだろうか?
 まあ本人が良いと言うので、良いかと納得しておく事にした。
 兄弟で今更回し飲みを気にする事も無い為、俺は何の躊躇いもなく持っていたマグカップを弟の手元に差し出した。
 あちらがしっかりカップを受け取ったのを見てから、そっと手を放す。

「まだ熱いかもしれないから、気をつけろよ?」

「ん……」

 俺の忠告に返事をした弟は、少し緊張しながらも静かにカップに口をつけ、ゆっくりと含んだ一口を飲み干した。
 気になる反応はと言うと−−

「…………にがっ!」

 これまた予想通り過ぎて、思わず失笑してしまった。
 そりに気付いた弟の何とも言えない視線を感じるが、笑ってしまったのは仕方がない。

「ちょっと梓、笑わなくても良いじゃん!」

「だって……臨也の反応が予想そのまんまだったから」

「……どうせ俺は、まだ子供舌ですよっ!」

 そう言ってこちらに背を向けてしまった弟のご機嫌を直す為に、俺はその身体を後ろから軽く抱き締めてやった。
 俺が密着すると思っていなかったのか、びくりと弟の肩が驚いて少し揺れたのが分かった。

「ごめんって。笑って悪かったからさ、あまり怒るなよ」

「別に、怒ってない……ただ−−」

「ただ−−?」

「…………」

 続く言葉を言うべきか迷っているであろう弟。
 それに気付いた俺は安心させようと、弟の耳元で静かに「今度は笑わないから、言ってごらん?」と声をかけてやった。
 同時に、弟の腹の前で組んだ手に少し力を加えて密着を増す。
 すると観念したのか、弟は俺がギリギリ聞こえる程度の小さな声で、言葉を発した。

「梓が飲めるのに、俺が飲めないのがヤなんだよ……置いてかれるみたいで」

 余程恥ずかしい告白だったのだろう。
 後ろ姿しか見えなくても分かるくらい首まで真っ赤になった目の前弟を、この時の俺は本当に可愛いと思った。

「そんなに焦らなくても大丈夫。慣れればその内飲めるから」

 自分に追い付きたいと必死になる可愛い弟。
 俺はその頭を撫でながら、もう一度「置いてかないから、大丈夫」と宥める言葉をかけてやったのだった。




***





「−−なんて事もあったなあ」

 俺は二人分の珈琲を準備しながら、フと昔の思い出に浸っていた。
 何気なく思い出した数年前の記憶を懐かしく感じながらも、珈琲の入った揃いのカップを両手に持ち、キッチンを静かに後にする。

「臨也、お待たせ」

「ありがと、梓」

 あの頃と同じ様にソファーに座る弟に、マグカップの片方を手渡してから、俺は隣りに腰掛ける。
 成長期の為に二人とも背は伸びたが、元々大きめのソファーだったおかげで、まだまだ一緒に座るには余裕があった。
 あと平和島一人くらいなら座っても平気だろう。

「梓、機嫌が良いみたいだけど何かあったの?」

「ん?あぁ−−ちょっと昔の事を思い出してたんだ」

「どんな事?」

「お前も珈琲が飲めるようになったなって事」

 興味津々といった様子で問いかける相手にそう伝えてやる。
 すると、弟は俺の言葉で直ぐに合点がいったようだ。
 あの時と同じ様に真っ赤になる弟に、相変わらずだなと思う。
 あれから弟は中学の終わり頃に珈琲を飲めるようになった。
 最初はやはりミルクを入れて飲んでいたが、最近では俺と同じでブラックを好むらしい。
 俺は自分のを作る時に、ついでにと弟の分も用意するようになった。
 逆に、こちらが何も言わなくても弟が俺の分も用意してくれる事もある。
 双子だからなのかは分からないが、どうやら俺達兄弟は『飲みたい』と思うタイミングが同じらしい。
 とても便利な感覚共有だ。

「……今思うと我ながら恥ずかしから忘れてよ!」

「んー……ヤダ」

「え、何でさっ!?」

 梓の意地悪!と文句を言ってくる弟の言葉を聞き流すフリをしながら、珈琲を口にした。


 忘れる事なんて出来はしない。
 またいつか、きっと思い出すだろう。
 だって、あれも《折原梓》として過ごした十数年間の、大切な記憶の一部なのだから−−



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