朝になると目が覚める。夜更かしした日は目覚まし時計でもなかなか起きられないので、親からたたき起こされる。特におなかがすいたわけではないが朝食をとる。昼まで寝ていた日は、昼食になる。
父親と一緒に重力室に入る。母親と一緒に買い物に行く。祖父が何かを作っているのを見学する。祖母が花に水をかけているのを手伝う。猫にえさをあげる。客が来たので出迎える。空を飛んで悟天の家に行く。山を駆け回る。学校を終えた悟飯さんが家に立ち寄る。
おなかがすいてきた頃に夕食をとる。皿を片付ける。テレビをつける。ゲーム画面に切り替える。風呂に入る。時々風呂で遊び過ぎてのぼせそうになる。疲れた日は風呂に入らないまま眠る。面白い夢を見て、それを誰かに教えたくなる。
建物の隙間から太陽が昇る。鳥が鳴く。風が吹く。雲が流れる。街を人々が歩く。車が行き交う。飛行機が飛び交う。太陽が雲に覆われる。雨が降る。雲が晴れる。そして建物の隙間に太陽が沈む。

そういった毎日がずっと続いてきた。そしてこの先もずっと続くのだろうと思っていた。







だから俺は、今まで一度も考えたことがなかった。少しばかりの想像すらできなかった。

目覚めてすぐに、母親がいるかどうかを確認することも。目覚めてすぐに、外の音に耳を澄ませることも。目覚めてすぐに、遠い街から立ち上る煙を確認することも。曇っている日はその煙が見えないことも。テレビは敵の居場所と天気予報しか教えてくれないことも。そのテレビが何も映さなくなったことも。ラジオだけは、敵を倒したその日まで音を流していたことも。
当初は、街がひとつひとつ順番に破壊されていったことも。それが次第に、敵の気の向くまま適当な順番で破壊されるようになったことも。街が破壊され始めた頃、それに便乗した悪人がはびこっていたことも。時の流れと共に、その悪人すらいなくなってしまったことも。壊された街には人がいないのが当たり前だったことも。生き残った人は互いに顔を合わせることなく隠れていたことも。顔を合わせても、互いを信じられなかったことも。誰が敵で誰が味方か分からなかったことも。何にすがれば良いのか分からなかったことも。敵が何故世界を滅ぼそうとしているのか、誰も分かっていなかったことも。それでも人間は理不尽に殺され続けていたことも。人間だけではなく、犬も猫も鳥も植物も全て一緒くたに殺されたことも。
始めは「まだ大丈夫だろう」、「自分だけは大丈夫だろう」と、人々は状況を甘く見ていたことも。それが「いずれ自分も殺される」という状況になった時、まともな神経を保てる人は少数だったことも。自ら命を絶つ人もたくさんいたということも。その時期を乗り越えてからも生き残った人々は、ようやく互いに力を合わせて生きる道を選んだことも。食料を集め、売買をし、残された人間で顔を合わせて話をしている時が、唯一ほっと息をつける時間だったことも。
表面上は笑顔を見せていても、心の中では誰もが全てをあきらめていたことも。誰もが「次は自分だ」と思っていたことも。前日笑顔で挨拶を交わした人が、次の日にはこの世からいなくなってしまうことも。人が消えた街のがれきの間を、ひとりで歩き続けたことも。最初は直視できなかった死体を、いつの間にか見慣れてしまったことも。もとより死体が残っていることの方が珍しいということも。敵の攻撃が直撃した場合、骨のひとかけらも残らず消滅してしまうことも。修行の合間に街へ行き、かろうじて残っていた誰のものか分からない身体の一部を探し集めて回ったことも。それらをまとめて葬ったことも。遺族すら残ってない身元不明の彼等の冥福を祈るのが、生き残った人々の役目だったことも。本当は墓にはきれいな花を手向けたかったけれど、懸命に生き残っている花を摘むのが忍びなかったので、代わりにがれきのかけらやガラスの破片を花の形に並べて供えたことも。それもいつしか強風や爆風に吹き飛ばされ、どこかへ行ってしまったことも。そしてまた新たながれきとガラスを拾ってきたことも。どの街を歩いてもとても静かで、風が物を転がす音しか聞こえなかったことも。
幼すぎて、父親が亡くなった日の記憶がないことも。それでも母がそうしていたように、父の命日だけは空を見上げるようになったことも。決して泣かない母親の背を見て、自分も泣かなくなったということも。自分にとっての世界は、最初から「平和」ではなかったことも。だからそれ以前の世界を知っている人々よりは、悲しさと悔しさが少なかったことも。
そんな自分が闘いの日々に足を踏み入れたのは、悟飯さんの影響がすごく大きかったことも。世界の昔と今のどちらも知っていたのに、悟飯さんは弱音を吐かなかったことも。そういう人間になりたくて頑張ったことも。修行の日々は苦しいけれど楽しかったということも。ふたりで敵を倒し、世界が平和になる日の想像ばかりしていたことも。その夢が叶わなかったことも。悟飯さんが死ぬなんて考えたことがなかったことも。目標と自信と夢と希望と仲間をいっぺんに失ったことも。そしてひとりで闘うことになったことも。
触れても二度と身体が動かないことも。呼んでも二度と言葉が返ってこないことも。話をしたくても二度と会話ができないことも。泣いても何ひとつとして戻ってこないことも。自分も一緒に連れていってほしかったことも。戻らないつもりだったなら引き留めれば良かったと悔やんだことも。でも引き留めていたら誰かがそこで死んでいたということも。それ以来、前を向いて闘うことができなくなったことも。太陽の光や雲や風や伸びる影や自分の髪の毛さえ、足枷のように思えたことも。階段を昇っても昇っても最上階にたどり着けないという夢にうなされたことも。地上を歩いても歩いても誰にも出会えないという夢にうなされたことも。
「勝てるわけがない」と「勝たなければならない」に挟まれて苦しんだことも。「自分には無理だ」と「自分しかできない」に挟まれて苦しんだことも。自分の最たる願いが、「世界を平和にしたい」なのか「また皆に会いたい」なのかが分からなくなってしまったことも。そうやって悩んでいることを誰にも言えなかったことも。ひとりで闘う日々がつらくてたまらなかったことも。
崩れそうな心を崩さずに済んだのは、「自分がサイヤ人である」という事実のおかげだったということも。「サイヤ人なら、闘える日常を楽しいと思うはず」と、自らに毎日言い聞かせていたことも。その事実が今でも自分の誇りであることも。そして全てが終わった今でも、皆の墓前に、がれきのかけらとガラスの破片で作った花を手向け続けていることも。

そんなこと、俺は何ひとつとして経験していなかった。経験していないのだから考えられるはずもない。
いつの間にか心の中から、わくわくした気持ちだけが吹き飛んでしまっていた。それは本当に未来の俺を取り巻いていた世界の話なのだろうか。ずっと憧れていたあの人が生きてきた日常なのだろうか。自分の現状とあまりにも違いすぎて、物語の中での出来事のようにしか思えなかった。


「それって、ほんとに?」
「本当だよ」
「ひとりだったの?」
「母さんがいたから、完全にひとりってわけじゃなかったよ」
「だって…、闘ってる時はひとりなんでしょ?」
「みんな、死んじゃったからね」


あの人は話しながら、涙を見せたりはしなかった。どうすればそのような内容をそこまで優しい声で話せるようになるのか、不思議で仕方なかった。
わざわざ確認しなくとも俺には分かっていたはずだ。あの人が嘘をつくわけがない。全部本当だ。あの人にとっては、俺が経験していなかったそれら全てのことが現実であり、今までの人生だったのだ。
あの人がひとりで闘っていたことなど、とっくの昔に知っていた。母から聞いた昔話の時点でそう聞かされていた。俺は漠然とそれを「かっこいい」と思った。たったひとりで闘い続けるというその立場に、安易な気持ちで憧れた。
ところがあの人を取り巻く境遇は、実際はかっこいいものでも何でもなく、ただただ苦しく悲しいだけのものだった。あの人は「ひとりで闘うのがつらい」と口にした。そんなことは当たり前だ。考えるまでもない。誰だってひとりになどなりたくない。ひとりで残されたくなどないのだ。

例えば、魔人との闘いの時に、俺達のことを命と引き替えにして守ろうとしてくれた父親が。いつも憎まれ口をたたきながら、一緒に浴槽の掃除をしていたあの父親が、俺が生まれて間もなく敵に殺されていたのだとしたら。
例えば、誰よりも悪を嫌って、誰よりも全力で街の平和を守ろうとしていた悟飯さんが。いつでも楽しそうに笑っていて、何でも教えてくれたあの悟飯さんが、俺を生かすために俺を置いていって敵に殺されたのだとしたら。
例えば、小さい頃からずっと一緒に遊んでいて、親に怒られようとも一緒にどこへでも出かけて、たくさん喧嘩をして何度も泣かせ合った悟天が。遊んでいるうちにそれが闘いになり、そのうち超サイヤ人に覚醒できるようになり、「こいつにだけは絶対負けたくない」と競い合ってきた悟天が。敵が舞い降りた世界で俺の隣にいて、敵が消え去った世界でも隣にいて、これからも何年経っても何十年経ってもいつまでも友達でいたいと思っているあの悟天が、最初からこの世に生まれていなかったのだとしたら。


「……そんなの、嫌だ」


口から漏れたつぶやきに促されるかのように、俺の頬を涙が伝った。










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