忘れもしないその日の昼は、一家総出で外食をすることになっていた。
おいしい物を食べることが好きな祖母は、おいしい料理を出してくれる店をいつもどこからか探し当ててくる。その店へ皆で行ってみることにしたのだ。
珍しく、父親までもがそれに同行するという。魔人との闘いを終えた辺りから、家族の風景に父が溶け込む回数は確実に増えていた。以前は俺達の前に何日も姿を現さないことがたびたびあったが、今ではほぼ毎日会うことができた。
表情や感情表現は以前とさほど変わらないものの、空気がどことなく丸くなったことを感じ、そのたび俺は「あの闘いがあって良かった」と心の中で考えていた。あれがなければ父が家族のために闘うことは無かっただろうし、一家団らんという当たり前の風景も手に入れられなかったかもしれない。


それなのに俺は、その外食に同行しなかった。
出発直前になって、悟天から電話がかかってきたのだ。


『明日、遊びに行ってもいい?僕ね、あのゲームまたやりたいんだよね。武器で闘うやつ。前やった時、僕、最後の敵にどうしても勝てなかったからさ。今度は絶対勝ちたいんだ!』


来宅のアポイントメントをいつものように二つ返事で受諾し、電話を切ってから、ある重大な事実に気が付いた。

(…やばい、そういえばあのセーブ、消しちゃったんだ!)

悟天がやりたがっていたそのゲームは、最後の敵と闘う少し前でデータを保存しておいたはずだった。ところがある夜、眠気に襲われていた俺は、間違ってそのデータを消してしまったのだ。その時は大して気にも留めず、「一回クリアしたし、別にいいか」と、そのまま放置しておいた。
本来ならその時点で思い出すべきだったのだ。一緒にこのゲームで遊んでいた時、苦戦しながらも最後の敵を倒してしまった俺のはしゃぎっぷりを、悟天が尊敬と悔しさの入り雑じった複雑な表情で見ていたことを。
俺は焦った。今から悟天に謝罪の電話を入れ、正直に「データ消しちゃったから最後の敵とは闘えない」と話し、遊ぶ約束を取り消そうかとも考えた。しかし一度承諾したことを撤回するというのは、自分のプライドが許さない。それに電話口で聞いた悟天の弾んだ声を思い返すと、その期待を踏みにじるような真似はどうしてもできなかった。俺は、仲良しの友達から寄せられる期待だけは、何があっても裏切りたくなかったのだ。
時計を見るとまだ昼だった。今すぐ取り掛かれば、最初からゲームをやり直したとしても、夜中までには最後の敵までたどり着けるだろう。


「トランクスー、早く用意しなさいよ」
「ごめん、やっぱり俺、行かないことにした!」
「え?急にどうしたの?」
「ちょっと用事を思い出しちゃって…」
「どうせたいした用事じゃないんでしょ?いいから行きましょ!せっかくベジータも行くって言ってるんだから」
「ちょっと待てブルマ!俺は行くなんて言ってないぞ!」
「ま、まぁ、たまには大人だけで行ってきなって!ママとパパと、おばあちゃんとおじいちゃんで、ダブルデートしてきたらいいよ!」


ダブルデートという言葉を聞いて、母は一瞬きょとんとした表情になり、隣にいた祖母と顔を見合わせた。そしてどうやらその言葉に気を良くしたらしく、「どこからそういう言葉を覚えてきたのかしらー?」と言って、嬉しそうに笑った。
父だけは歯ぎしりをしながらいつまでもこちらを睨み続けていたが、俺はこうしてひとりだけ家に留まることに成功した。



見送った後、すぐさまゲーム機の電源を入れた。
そこから何時間もの間、俺はゲームに没頭した。一心不乱というのはこのような状況を指すのだろう。操作キャラクターのレベルが未だ低かろうがアイテムや武器を取り損ねようがお構いなしに、ただひたすら先に進むことだけを考えた。もちろんこまめなデータ保存は忘れなかった。俺以外に誰もいなくなった室内から響くゲーム音楽とキャラクターの声とコントローラーのボタンを押し続ける音は、とてもやかましかったに違いない。
それからどれくらい時間が経過しただろうか。時計の針は夕刻に差し掛かっていた。
今まで本棚の上でぐっすりと眠り込んでいた飼い猫が、大きく伸びをしてから床に降りてきた。そして躍起になってコントローラーを叩き続ける俺の膝や手の甲に、鳴きながら頭をこすりつけてきた。のどをごろごろと鳴らす音が普段よりも大きい。明らかに餌をねだる時の行動だった。俺の膝上を何度も往復しながら身体を擦り寄せ、じっと顔を見つめてきた。猫のこうした行動は、餌をもらえるまで延々続く。
俺は画面を停止させ、棚の中に入れておいたドライフードを出してきた。猫は必死でその後に続き、待ちわびた様子で足元に絡み付いた。

「はい、どうぞ」

器に入れた餌を猫の前に置くと、夢中で食べ始めた。ドライフードが噛み砕かれる音は耳に心地良い。その音を聞きながら、ゲーム画面を確認した。
恐らく全体の6割以上は進んだはずだ。我ながらよく頑張ったと思った。後はキャラクターのレベルを上げ、強い武器を取り、先へ進めば良い。このペースでいけば、やはり夜のうちに最後の敵と対峙できるだろう。ほっと息をつき、ここまでのデータを保存して電源を切った。
俺は思いきり背中を伸ばした。コントローラーを持つ手に力が入りすぎたのか、親指と腕が痛む。目の奥も痛む。全身に疲労を感じ、そのままソファーに寝転んだ。

「まだ帰ってこないのかなぁ…」

つぶやきながら、窓の外を眺めた。本気でダブルデートとやらを楽しんでいるのか、未だ家族が帰宅する気配はなかった。
寝転んだまま空を見上げると、たくさんの鳥が羽ばたいていくのが目に映った。あれは渡り鳥だろうか。それとも普段からこの辺りに棲息している鳥だろうか。家路を急いでいるのか旅路についているのかは分からないが、彼等は勢いよく空を横切っていった。俺は目を細かく動かし、飛んでいく鳥の数を片っ端から数え始めた。だがすぐに数え切れなくなり、早々にあきらめてしまった。

鳥が飛び去った後の空を、そのままじっと眺め続けた。どちらかといえば幼少期の俺は、景色に心を奪われるような人間ではなかった。空を見上げたところで特に感慨など湧きはしない。その俺がどうして空を見続けていたかというと、単に身体を動かすのが面倒だっただけなのだ。
そのような俺の目から見ても、実に不思議な夕暮れだった。
夕焼けというのは、空自体が赤く焼けるものだと勝手に考えていた。ところがその日の空は、薄暗さに飲まれつつあるものの、夕刻になっても青く澄み渡っていた。そして空を漂う雲だけが、全てピンク色に染まっていたのである。
その二色は決して混じり合うことなく、空の端から端まで敷き詰められていた。太陽はもう沈んでしまったのか建物で見えないだけなのか、その在りかは分からない。それにも関わらず見事なまでに雲だけを染め上げたその技に、俺は感服した。時折、都の上空を飛行機がいくつも横切った。乗員からも夕暮れは見えているのだろうか。


そうして見とれているうち、俺の視界に、発光しながら奇妙な動きを見せる飛行物体が突然入り込んできた。


何の前触れもなく上空に現れた物体は、いくつも横切っていた飛行機とは明らかに動きが異なっていた。飛行機が平行移動するのに対し、それは垂直移動だったのだ。
俺は寝転んでいた身体を起こし、窓から身を乗り出すようにして凝視した。それは最初は点にしか見えなかったが、地上に降りてくるにつれ、その姿が認識できるようになってきた。

(あれは…)

この世界では目にすることのなかった特殊な形。俺はあの形だけは忘れたことがなかった。そして、我が家の敷地内に近付いてくるにつれ、はっきりと感じられる温かい優しい懐かしい気。俺はその気の持ち主だけは忘れたことがなかった。


「タイムマシンだ!!」


口にするや否や、駆け出していた。
まるで爆発してしまいそうなくらい心臓の鼓動が鳴り止まず、表情が自然にほころんだ。俺は転がるように玄関へと向かい、靴を探した。履いて靴ひもを結ぶ時間が惜しくなり、誰の物か分からないサンダルに足を突っ込んだ。そして突っ掛かりながら扉を身体で押し開け、勢いよく外に出た。
機体は庭先付近にゆっくり着地した。そこから人が降りてきたのが見えたので、無我夢中でそちらに向かった。ぶかぶかのサンダルは走りにくいことこの上なく、途中から脱ぎ捨て、靴下のまま全力で走った。


「トランクスさん!!」


タイムマシンをカプセルに戻そうとしていた彼は、俺の声でこちらを向いた。その姿もその笑顔も、前に来た時と何ひとつ変わっていない。それは間違いなく、大好きなトランクスさんだった。
俺は飛びかかるように彼に抱き着いた。しかしそこからどのように言葉を続ければいいのか分からない。言いたいことはたくさんあるはずなのに、どういう訳か声が出てこなかった。迷ったあげく、しがみついたまま彼の身体に顔を押し付けた。

「元気だった?」

あの人はそう言いながら、大きな手で俺の髪に触れた。全力疾走したことで乱れた髪型を直してくれていたようだ。
ああ、やはりこの人は優しい。そしてその優しさがかっこいい。俺は嬉しくて嬉しくてどうしようもなくなり、にやけたままの顔を上げた。

「なんだかトランクス、ちょっと見ない間にかっこよくなったんじゃないか?」

俺ははっとした。慌てて髪や手足や身体を確認した。どうやら自分は、よそ行きの服を着たまま一日を過ごしていたようだ。ゲームのことで頭がいっぱいだったので、普段着に着替えることをすっかり忘れていたのだ。
それにしても、まさかあの人が俺をそのように評するなど思ってもみなかった。途端に俺は恥ずかしくなってしまった。今までさんざんあの人に告げてきた言葉ではあるが、いざ自分が言われてみると相当照れくさい。

「トランクスさんの方がかっこいいよ!」

それは俺にとって紛れもない本心だったのだが、あの人は「そんなはずないよ」と笑いながらあっさり流してしまった。
それには納得がいかなかった。真にかっこいい人というのは決して自惚れたりせず、いつも謙虚であるという勝手なイメージがあった。つまりトランクスさんは、いくら自分で謙遜しようとも、間違いなくかっこいいのだ。
そう熱弁をふるおうとした俺の声をさえぎるように、あの人が口を開いた。


「今日の空は随分きれいだね。俺、こんなきれいな夕焼けを見るのは初めてかもしれないなぁ」


それはとても穏やかな声だった。
俺も一緒になってその空を見上げた。目に映った空はだいぶ薄暗さが増していたけれど、ひとりで見ていた時よりもずっとずっときれいに見えた。










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