08/29の日記

21:20
赤い糸
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 なぁ、運命の相手とは生まれる前から赤い糸で結ばれてるっていうだろ。
――あんたはその赤い糸…、信じるか?





 必要最低限の家財道具しかないワンルームの片隅で、スクアーロはもうかれこれ1時間以上も携帯を握りしめ、その画面をじっと見つめている。
彼が大きく溜め息をつき肩を揺らす度に、もたれかかっている安いベッドのスプリングがギッと軋んだ。

 手にした携帯にはある男のプロフィール画面が映し出されていたが、スクアーロはこの3年、そのアドレスに電話はおろか、メール一本送ったことすらなかった。
もう二度と開くこともないと思っていた画面を見つめながら、スクアーロはまた深い溜め息でスプリングを軋ませる。





 ことの発端は、たまたま立ち寄った本屋で起きた。
特に買いたい本があったわけではなかったが、駅に向かって歩いてる途中で小雨が降り出し、そのまま走ってもよかったのだけれど、なんとなく目に入った本屋に、ほんとうに偶然足が向いた。

自動ドアが開き店内に入ると、同じように雨を避けた人が続けて何人か入ってきた。スクアーロは読書が好きな方ではなかったが、本屋独特の紙とインクが混ざったような匂いは嫌いではなかった。以前は本が好きな知り合いに付き合ってよく来ていたが、雑誌ぐらいならコンビニでも手に入るので、最近は立ち寄る機会もめっきり減っていた。

 さて、店に入ったのはいいが、目当ての本もないスクアーロは、とりあえず一番近くにあった雑誌コーナーに向かい適当に手にとった本をパラパラとめくった。
けれどすぐに飽きてしまい、漫画でも探そうと店内に設置してある案内板に目をやると、文庫や児童書、趣味全般など様々なジャンルの奥にそれを見つけ、手にしていた雑誌を元に戻した。

スクアーロはそこを離れ、両側にずらりと書棚が並ぶ通路を進みながら、哲学書や心理学、歴史書などが配置されたスペースのそばを通り過ぎようとした時、彼の視界の端に黒い影が映った。
その瞬間スクアーロは、何かに操られるようにぴたりと足を止め、まるでスロー再生の動画のようなおそろしくゆっくりとした速度で、顔を棚の方に向けた。

 小難しそうな書物がずらりと並ぶその棚の付近は人もまばらで、そんな中、ただでさえ目立つ背の高い男が分厚い本に視線を落としていた。
彼は一心に活字を追っているのか、うつむいたまま微動だにしない。目のあたりに少し前髪がかかったその横顔を、息をするのも忘れるほど見つめていたスクアーロの唇が微かに震えだした。心臓がバクバクと高鳴り、頬は直射日光を浴びたように熱く火照っているが、それでも彼から目を逸らすことができない。

すると、尋常ならざる視線に気づいたのか、男が顔を上げスクアーロの方を向いた。

「――おまえ…、」

彼は驚いたように呟き、2人は書棚の端と端で見つめあう。
まるでマネキンのように固まったまま動かず、口も開くことができないスクアーロを見て、男は棚に本を戻すとゆっくりと歩み寄ってきた。

「久しぶりだな。元気か」

 3年ぶりに間近で聞くその懐かしい響きに、スクアーロは自分の中で眠っていた何かがざわざわと騒ぎだすのを感じた。忘れようとすればするほど蘇る記憶に苦しんだ日々。

「あ、うん、…元気。XANXUSは?」
「俺はまぁ、相変わらずだ」

そう言ったあと、ふっと息を吐き唇を少し歪めて笑う。
恋人同士だったあの頃と変わらないその仕草に、スクアーロは胸のあたりが痛み、呼吸が苦しくなる。

「今は…、大学生か?」
「あぁ、そうだ。XANXUSと違って三流だけどなぁ」

それきり2人は黙ってしまう。きっとお互い、付き合っていた頃のことを思い出しているのだろう。
少しして、口を開きかけたXANXUSを見て、スクアーロは慌てた様子でガラス張りの大きな窓に視線を移した。

「あっ!雨やんだみたいだし、オレそろそろ行かねぇと」
「…そうか」
「じゃあ、…元気でなぁ」
「あぁ、おまえも」


 その場にXANXUSを残し、スクアーロは踵を返すと一直線に出口へ向かった。
表に出るとまだ少し雨が降っていたけれど、彼は迷わず走り出す。夢中で走って駅に着き、そして電車に飛び乗った。濡れて頬や額にぺたりと張りついた銀色の髪を剥がそうともせず、閉まったドアに体を預け何度も大きく呼吸をする。

 XANXUSは何を言おうとしたのだろう。
 スクアーロはドアの窓に映った自分の顔を見つめる。
 あれ以上あそこにいると、言わなくてもいいことを口にしてしまいそうで怖かった。




「別れよう」
 そう言い出したのはスクアーロの方だった。
XANXUSを嫌いになったわけではなく、むしろ最後までずっと好きだった。
 でも2人の関係を知っていた友人は、別れたと聞くやいなや「やっと腐れ縁を断ち切れたか。別れて大正解だ」と、満足げにスクアーロの肩を叩いた。XANXUSに何度も浮気され、そのたびに振り回され、学校も休みがちになり自分を見失いかけていたおまえを心配していたと。

腐れ縁…。
実際友人の言う通り、当時のスクアーロは生活すべてが朝から晩までXANXUSにどっぷりだった。彼に呼び出されれば、たとえ何時だろうがどこにいようが、まさに飼い犬のように喜んで駆けつけた。そして言われるがまま、どんな恥ずかしいことでもした。嫌われたくないというよりは、XANXUSの望むことはすべて叶えてやりたい。そんな気持ちの方が強かったのかもしれない。女との浮気を隠そうともしないXANXUSに、逆上したことも一度や二度ではなかったが、彼は一切聞く耳を持たず、それでも嫌いになれなくて、どうしても離れられなかった。
 多分、自分たちが男同士だという負い目もあったが、何より生まれてはじめて付き合った相手がXANXUSだったので他に比べる対象がなく、彼といると楽しかったことも事実で、年上の恋人というのはこんなものなのかと半ば諦めていたのかもしれない。

 けれど度重なる裏切り行為に疲れ果て、いよいよ自分の精神が崩壊しかけていると自覚した時、スクアーロはそれまで生きてきた中で一番辛い決断をした。
それでも、もしかするとXANXUSは自分との別れを渋るのではという、ほのかな期待にも似た思いが頭の片隅にあったが、別れを告げた時、彼があっさり首を縦に振ったことでその淡い期待は見事に砕け散った。
 今思えば、あれは自分勝手なことを繰り返すXANXUSに仕掛けた最初で最後の駆け引きだったのかもしれない。

 気落ちするスクアーロを見かねた友人は、「たまたま悪いヤツに引っかかっただけだ。だいたいおまえは元々ノンケだろ」そう言って女の子を紹介したり、出会いの場をセッティングしてくれたが、スクアーロの心に空いた空洞を埋めるような相手には出会えなかった。

 

「結局…、3年経ってもまだ忘れられねぇってか」

 ドアの窓に映る自分にそう語りかけ、スクアーロは自嘲した。
そうして、ふと自分がふざけてXANXUSに言った言葉を思い出す。

『なぁ、運命の相手とは生まれる前から赤い糸で結ばれてるっていうだろ?――あんたはその赤い糸、信じるか?』

 他人から見れば、腐れ縁だの悪いヤツに引っかかっただの思われるのかもしれない。でも少なくともあの時XANXUSは、自分が面白半分で投げかけた問いに、ほんとうの気持ちで答えたのだとスクアーロは今でも思っている。

『そうだな…、俺は信じる』










「はぁ…」
 帰宅してからもう何十回目かわからない溜め息がまた漏れる。
 スクアーロが迷っているのはもちろん、再会したXANXUSに電話をかけるか否かということ。
さっきは逃げるようにあの場を離れてしまったが、彼に再会したことで意識的に封印してきた思いが堰を切って溢れだしてしまった。不思議なもので、思い出すのはXANXUSとの楽しかった記憶ばかり。
けれど、今さら電話をしてそれからどうするつもりだ。万が一寄りが戻るようなことになって、また彼に振り回される生活をはじめるつもりなのかと、諫める3年前の自分が存在するのも事実だった。

 それに、何よりXANXUSはどう思うだろう。
前にXANXUSは、別れた相手のアドレスは紛らわしいからすぐに消してしまうと話していた。その時『おまえもそうだろ』といきなり振られ、スクアーロはつい、『うん、オレも消す』と答えた。
消すもなにも、XANXUSがはじめて付き合った相手なのに。そして案の定消せないまま、今もこうして残っている。

 それなのに、電話なんかしてしまったら…。
やはりスクアーロにもプライドというものがあるのだ。自分から別れを切り出した手前、偶然再会したからといって軽々しく連絡して未練たらしいと思われたくない。
 
 でも……。


 その時突然携帯が震えだし、驚いたスクアーロは手が滑ってそれを床に落としてしまった。
慌てて拾おうとしたが、着信画面を見て手が止まる。
“なぜ…?どうして…?”
頭の中が混乱して、画面に見入っているうちに着信音が止み、携帯はぴたりと止まってしまった。
「あっ、」思わず声が出た。
スクアーロは飛び抜けて視力がいい。だからこの至近距離で文字を見間違えるなど有り得ない。
画面には確かに“XANXUS”と表示されていた。3年間消せなかった名前。
 けれどXANXUSは、別れた相手である自分のアドレスを消去しているはずで、だったらどうやって電話を…。

 混乱する頭で思いを巡らせていると、再び携帯が震えだした。
そしてやはり画面には彼の名前が。
 スクアーロは今度は携帯を拾いあげた。

 いずれにせよ、この電話を取ってしまえば最後、ただでは済まないだろう。もしかすると、腐れ縁が復活してしまうかもしれない。

 でも…、とスクアーロは思う。
 2人の間にあるのが、もしほんとうに腐れ縁だとするなら、今度はそれを自分が赤い糸に変えればいいのだと。






「……もしもし、」















end
8/29





――――――――――――

一応国文学科卒なのに、“赤い糸”も“腐れ縁“も欧米にはない表現なのだと調べて初めて知りました
日本語っていいですね


個人的にボスとスクたんは、赤い糸で結ばれた腐れ縁ベストカップルだと思っています(^ω^*)

鮫「絶ッッッ対離れねぇぞぉおおお!」
ボス「」←諦め

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