2004 冬 エピローグ


BAND結成の始まりは、イシカワ(Bass)とツチヤ(Vocal.Guitar)、2人の何気ない会話から始まる…

ツチヤは、めちゃくちゃ歌が上手く、Vocal.Guitarとして、BLANKEY JET CITYのコピーBANDを組んでいた事があった。
イシカワは、高校時代にほんの短い間ではあったがBassを弾いていた事があった。


そんな2人は、同じ店で出会い、意気投合し、
日本で唯一無二のROCK BAND、BLANKEY JET CITYを聞いているだけでは飽きたらず、゙BANDをやろうぜッ!"という話になる。

肝心なのは、2人共楽器を持っていない事であった…

イシカワは20年近くBassに触れておらず、
ツチヤに到ってはまだGuitarすら持っていない状況であった。

2人の目標は、まず楽器を手に入れる事。
何とか楽器を手にする事ができた2人…
BANDを結成したい気持ちは高まる一方だが、
当時、まだDrumがいなかった。

何ヶ月が過ぎ、イシカワの前にDrumを叩けるお客が現れた。
゙Drumを叩いてくれ!"と誘う。
そんな3人で始まるかの様なBANDは話だけで一瞬で終わってしまう。


2年の月、日が流れ


2007 夏

イシカワの後輩であるナカムラ(Drum)が2人が働くK店に現れる。
この時、ナカムラはBANDを組んでいて何年もDrumを叩いていたのであった。
以前、ツチヤがBANDを組んでいた時にナカムラのBANDにサポートGuitarとして練習をした事があったので、
ツチヤもナカムラの事を知っていた。
イシカワは、ツチヤからナカムラのDrumは上手いと聞いていた。
2人は迷わずナカムラを誘った。OKが出た。
ナカムラに課題曲2曲のCDを渡しスタジオの予約を取った。
ただ、突然スタジオ練習2日前からナカムラと連絡が取れなくなってしまう。
こうして3人でスタートするはずだったBANDもまたしても話しだけで終わってしまう。


2007 冬

2人はサドヤマ(Guitar)と出会う。
サドヤマは2人の働くK店にスタッフとして働き始めた。
サドヤマは、セミプロのソロシンガーであり、アコースティックギター1本で作詞、作曲をこなし、都内、神奈川でLIVEをしていた。
そんな、サドヤマだが父親が店をOPENするので2ヶ月で辞めてしまう。


2008 夏

あれから1年がたち、再び2人の働くK店にナカムラが現れる。
何んと、今度は連絡が取れなくなってしまったナカムラの方から“BANDやりましょう”と声がかかり、2人は“本当にやれるのか?”と問いただした。
ナカムラの答えは“今度は本当にやる。LIVEがやりたい。”と言う答えだった。
1年前、連絡が取れなくなってしまった理由は、BANDがスタジオ録音だけのBANDだと思ってしまったからだった様だ。
ナカムラの加入によりBANDはここから急速に進展して行く。

イシカワ、ツチヤがやりたかったBANDは。元THEE MICHLLEGUN ELEPHANTのVocal.チバユウスケが現在活動しているBAND、The Birthdayであった。

1人Guitarが足りない…

イシカワの脳裏には真ぐ様以前一緒に働いていたサドヤマが浮かんだ。
3人で話をしているその場から、イシカワはサドヤマに電話を掛け、゙BAND組むんだけどGuitarが1人足りない。お前がGuitarなッ!"と、半ば強引にBANDに誘い、こうして4人になった。

メンバーが集まり次はBAND名であった。BAND名は、イシカワ、ツチヤ、サドヤマの3人で決めた。
いろいろ候補の名前が出たが、3日間、悩みに悩んだ末、
イシカワ、ツチヤが3年前ふざけて言っていた
whitley-16(フィットリー・シックスティーン)と言うBAND名に決まった。

BAND名も決まり、次はLIVEの予定。
何か目標がないと2週間に1度の練習では気合いが入らないという事で、イシカワ、ツチヤは楽器店に向かう。レジの所にLIVEイベントのフライヤーが貼ってあり、
迷わずイベントの申し込みをした。
LIVEは2008.9.28に決定した。

イシカワ、ツチヤのBAND結成話から約3年。長い道のりだった。
イシカワ、ナカムラ、ツチヤ、サドヤマ、4人のBAND結成から3か月、
2週間に1度の練習、LIVE1ヶ月前からは1週間に1度の練習になり、whitley-16は初LIVEに挑んだ。


2008.9.28

時間は16:00になりステージの幕は切っておとされた。
そして、その瞬間から4人の物語もスタートして行くのであった…

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ