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□忘勿草
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「よう、元気か」


小さなアパートの一室。ここが私の住まい。ホグワーツを卒業してすぐに始めた独り暮らしは、せめて近くにでもと、ブラック家の近くにあるブラック家とは比べ物にならないほどボロボロなアパートで始まった。今、そんなところにやってきたのはシリウス先輩。先輩もまた、独り暮らし仲間だ。


「はい、おかげさまで」

「…そうか。あー、何か飲みもんある?」

「私が答えなくても、冷蔵庫開けるんでしょう?」

「大正解」


ずかずかと入り込んでくるシリウス先輩にもずいぶん前に慣れた。勝手に冷蔵庫を開けるのも、窓を開けて煙草をふかすのも、先輩がここへ来たときの習慣。


「…あ、れ?なんだこれ」

「ああ、それは」


シリウス先輩は長方形のプランターを指差して言った。花も蕾も新芽すらない、種の植わっただけのプランターだ。――それは、…ああ、言葉にするのにも、涙が出そうだ。だってあまりにも、馬鹿馬鹿しいから。


「"forget-me-not"」

「……え?…何、急に」

「知りませんか?花が植えてあるんです。素敵でしょう?花の名前なのに"忘れないで"だなんて」

「…ハナコ」

「まだ種だけど花屋さんで見て、いいなぁって。これ見たら何か忘れてないかなーって考えられるんです。紅茶買わないとなぁとか、明日水道代払わなきゃとか…」

「ハナコ、もう…」

「あとホラ!シリウス先輩が来るから冷蔵庫整頓しなきゃ、とか!」


言葉は何かを隠すみたいに次々と溢れ出た。目が段々と温かくなる。そして熱は頬を伝ってぽとり、と床に落ちた。ぽとり、ぽとり。止まることなく、床を染める。だってホラ、本当に馬鹿馬鹿しいんだか、ら…


「ハナコ、もういい。もういい」

「忘れちゃ、いけ、ないっ、でしょ…いろんな、こと…っ」

「ああ、忘れちゃ駄目だ」


ふわっ、と紫煙の臭いが私を包んだ。暖かくて、やさしくて。――だけど、本当に欲しいものとは何かが違う。本当は煙草の臭いはないし、もう少し細くて、あと何か…何か足りないものがあるような気がする。


「レギュぅ…っ」

「忘れるな。絶対…アイツもそう思ってるよ」


――ああ、でも、声はそっくりだ。





忘 勿 草
(ねぇ、どこに行ったの?)
(忘れないで、忘れないから)






end.
20090527


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