番外編
□それはいつしかの記憶
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カラン、と鹿威しの乾いた音が響く。
だが、それ以外の音は聞こえず、相変わらず静寂に包まれていた。
小さな子の真っ黒な艶のある髪をサラサラと撫でる着物姿の女性はとても穏やかな笑みを浮かべていた。
女性は日本美人ではあるがたいそう、というわけでもない、普通の女性だ。
そんな女性が嫁いだこの家は、華道家として広く名を馳せていた。
女性はとても一般的な家庭で生まれ、育ち、将来伴侶になる男性との出逢いは奇跡に近かったと聞く。
そのため、女性は代々続く名家に多大な影響を与えた。
名を、須藤明子。須藤要の母親である。
ゆっくりと、明子は5歳の要の頭を撫でながら話す。
「須藤家長男の貴方には必ず壁が立ち塞がる。人生すら投げ出したくなるようなものが」
「かあさま?」
舌足らずな要はきれいな姿勢で正座した明子の膝の上でそれを聞いた。
要はわからないと、そう顔に書いてあったが明子はふ、と微笑を浮かべて話を続けた。
「それでも大丈夫。貴方ならきっと見つかる。世など関係なく、人生すら捧げられる人が見つかる」
穏やかに、何かを諭すように言う明子に、要には理解することは難しいようだ。
「だから、待ってみましょう。何が起きても。いいわね?」
「うー…はい、かあさま!」
やはりよくは理解出来ていないようだが、要の返事に明子は顔を綻ばせた。