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□歌人
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路地を歩く。足音。誰か私をつけている。

「どなた様でしょう。こんな夜更けに、あなたも私の歌をご所望でございますか?」

振り返れば、そこには一人の青年が身を隠そうともせず立っていた。
身なりから見て、恐らく乞食だろう。

目が合うと、青年は慌てたように懐から何かを取り出す。
掌には、泥で汚れた銅貨が二枚乗せられていた。

「い、今はこれしか、ないんだ。でも、頼む。妹や弟に、あんたの歌を聞かせてやりたい。足りなかったら、なんだってする。だから……」
「おやおや、私はまだYesともNoとも言っていないのに。あなたは饒舌でいらっしゃいますね」

はっとしたような顔して目元を赤らめる。すぐに小さく頭を下げて、ちらと私を見た。
不安や期待が入り交じった目の奥に潜む、青年の闇。まだ、彼自身も自覚できていないような、深い闇の色。

これは、おもしろそうですね。

私は自分の懐から、羊の皮で出来た袋を青年に手渡す。

「それは、私が今日稼いだ硬貨の一部です。金貨が二枚、銀貨が十三枚、銅貨が三十八枚。これであなたを買いましょう」
「……え」

突然の申し出に、だらしなく口を開ける青年。

「これで、あなたを買わせて下さい」
「い、いや、ただオレは歌を……」
「歌など、いくらでも歌って差し上げます。ああ、兄弟たちが心配なのですね。私の知り合いに子供を雇う店がありますので、紹介いたしましょう。さあ、これであなたに拒否権はありません」

私の勢いに圧倒されてか、青年は瞬きすらできていない。

「明日の朝、夜明けとともに出発します。それまでの間に、そのお金で旅の仕度をしなさい」
「オ、オレ……」
「言ったはずですよ」

困惑する彼の耳に口を近づけ、まるで歌うように囁く。


あなたに拒否権はない


真歌人の歌声には、魔力が秘められているという。
脳揺さぶり、人を人形のように操る。

青年は、こくりと一つ首を縦に振る。

「そう、いい子ですね。私と共に生きて学びなさい」

手を差しのばせば、重ねられる痩せ細った指。それを握りしめ、力のない体を抱き寄せた。

「あなたの闇を、私に見せてご覧なさい」

あなたの内に潜み、蛇のように蠢くその闇を。

青年は、私の腕の中でゆっくりと目を閉じた。





私は、しがない歌人でございます。
暗く沈んだ人々に歌を届けるのが私の仕事。

今日は私の弟子を紹介いたしましょう。
歌人としてはまだ赤子のような未熟者ではありますが、どうぞ厚く賜りますようお願いいたします。

活発そうな青年が微笑み、小さく息を吸う。

さあ今宵、彼は私にどのような闇を魅せるのでしょう。



月はまだ、青く青年を照らし続ける。





end
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