Short

□歌人
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私は、しがない歌人でございます。
暗く沈んだ人々に歌を届けるのが私の仕事。


今宵は誰に私目の歌をお聞かせいたしましょうか。


夜も更けた酒場で大声を張り上げる男たち。その中の店主らしき男に、微笑みながら声をかける。

「歌はいかがです?」
「おっ、あんた歌人か。こんなちっせえ街に歌人が来るなんて珍しいな」

大半の歌人は、大きな街で多くの客を集め、多額の報酬を手に入れる。
一瞬で大金が入るその魅力に、歌人の弟子になりたがる者が年々増えているという。
そう簡単に『真歌人(しんかじん)』になれるという訳でもあるまいに。

「何年かぶりの歌人だ。俺らのために歌ってくれ、べっぴんな歌人さんよ」
「銀貨三枚でいかがでしょう」
「ちいと高いな。銀貨二枚、これ以上は店が潰れちまう」
「……お引き受けいたします」

今にも酒瓶が飛んできそうな小さなステージに上がり、未だ自分の存在に気付くことのない男たちのため、私は歌いましょう。

空気が振るえ、あれだけ大声を上げていた男たちがぴたりと口をつぐむ。
誰もが動きを止め、私から奏でられる歌に魅入られる。

さあ、さあ、お聞きなさい。
今この刹那、すべてを忘れなさい。

男たちはただ黙り、一心に耳を歌に傾けていた。





「久しぶりに鳥肌が立ったよ、歌人の兄ちゃん。店の売り上げも上々だ。また来てくれよ」
「ええ、喜んで」
「……あんた、真歌人かい」

店主の目が、人の奥底を探るような色に変わった。

「私は、しがない歌人でございます」

明日の朝にこの街を発ちましょう。歌人はあまり長いをしてはいけない。
歌人の歌を待つ者はこの世に大勢いるのだから。




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