□パロ
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2月14日、本日はバレンタインデーである。
足立は蒼夜を連れて沖奈まで行き、少しお高いレストランでディナーを食べた。
蒼夜の手料理は勿論いつどれだけ食べたって構わない程美味しいのだが、たまには世間様の恋人達と同じ様にレストランでしっとり食事と言うのも良いだろう。
足立は少し緊張しながらも嬉しそうに食べていた蒼夜を見てたまに連れて来てやろうと思いながら、支払いを済ませて店を出た。

「透さん、ごちそうさまでした」
「どう致しまして。美味しかった?」
「はい、とても」

寒さに白い息を吐きながら鼻の頭を赤くして、それでもにこりと笑う蒼夜の頭を、足立は優しく撫でてやる。
幸福な時間が胸を温め、頬が緩みっぱなしだ。

「さて、帰ろうか」
「はい」

頷きあって二人駅まで歩き出す。
足立は思い切って少年の手を握ろうと手を伸ばし、触れようとした。
しかしその瞬間、不意に一人の女性が足立の名前を呼びながら近付いてくる。

「透!」
「綾子…?」
「あは、こんなとこで会うなんてね。久しぶり」
「うわ、本当久しぶりー」

長い髪を靡かせながら、綾子と呼ばれた女性は明るい笑顔で足立を見遣り、2、3言葉をかける。
足立もそれに笑顔で返し、二人はしばし談笑していた。
蒼夜はただその光景をじっと見遣るしか出来なくて、会話を盗み聞きするのも失礼かと少し離れ様とする。
しかしその前に会話が鼓膜を震わせ、衝撃が胸を撃った。

「もう別れて9年?とか経つんだね」
「あーそんなんなるのかぁ。いやーあの頃は若かった、うん」
「あはは、付き合い始めたの学生だったからね。お互い老けたねぇ」

綾子は楽しげにからからと笑う。
そう、綾子は足立が高校生の頃に付き合っていた女性なのである。
勉強に日々を費やしていた足立が、学生時代両親に内緒で付き合っていた唯一の女性であるのだ。
警察になる為の勉強が忙しくなってから、自然に別れてしまい、2、3連絡を取る事はあったが、此処5年程は全く思い出す事も無かった。
それが、久々に今、対面しているのである。
足立は懐かしさについつい会話にのめり込んでしまい、瞬間、傍らの存在を忘れていた。
だから蒼夜が遠慮がちに「先に帰ってますね」と声をかけた時の笑顔が、いつものそれと違う事にも気付かない。
蒼夜は綾子にぺこりと一礼して足早にその場を去る。

「あ、蒼夜くん…!」
「あら、ごめんなさい。連れと一緒だったの?」
「う、うん」
「…なんかあの子、泣きそうな顔して無かった?」
「え…?」

足立はきょとんとして少年が消えて行った方角を見遣る。
そこには人混みが広がっていて、もう蒼夜は見えない。
そう認識した途端、急に酷く不安になった。
胸がざわざわとして居ても立ってもいられなくて、足立は綾子と軽く挨拶して別れ、慌てて見えなくなった背を捜す。

「蒼夜くん…!」

駅よりも手前、人通りよりも少し離れた場所にいる姿を見つけ、足立はその手を掴んだ。
焦っていた分直ぐに見つかってホッとしたが、しかし振り向かない蒼夜に違和感を覚える。
俯く背中は小さく、繋いだ手が僅かに震えてる事に気付いて、足立は人目につかない路地裏に蒼夜を引っ張り込んだ。
少し強引に振り向かせて上向かせると、その切れ長の瞳がゆらゆらと揺れている。

「蒼夜くん…なんで泣いてるの…?」
「…泣いて…無いです……」
「嘘。そんな顔して。…勘違いだったら恥ずかしいけど…もしかして、妬いてくれた?」
「………!」

蒼夜はびくりとしてぎゅっと目を閉じ、ぼろっと大粒の涙を零す。

「ご、めんなさい…」
「なんで謝るの?」
「俺…ど、どうしようも無いって解ってるのに…悔し、くて…」
「うん」
「ど、して…もっと早く生まれなかった、のかって…どう、して…貴方ともっと早、く出会え無かった、のか…って…」

しゃくり上げながら蒼夜は止め度無く溢れる涙をごしごしと拭う。
乱暴に擦るせいで赤くなっている目元が痛々しくて、足立はそこに優しく舌を這わせた。

「ふ…そんな…事、どうしよ、うも無、のに…今…透さんが俺を…好きで、いてくれる…それで充分なはず、なのに…」
「うん。解ってるよ。ちゃんと解ってる。僕だって…出会う以前の君を知らない事が悔しいと思うし、君が友達と楽しそうにしてるの見るだけで、嫉妬もする」

同じだよ。
足立はちゅっと目元に口づけて、浮かぶ涙を目の縁に沿って舐めた。
びくびくとしながら蒼夜は息を吐き出し、ぎゅっと足立にしがみつく。

「俺、貴方に、出会って…欲張りになりました…貴方を構成する全てが…欲しいんです…過去も今も未来も…全部」
「うん。僕も…蒼夜くんの全てが欲しいよ。だって、愛してるから」
「……はい」

嬉しそうな笑みは、しかし直ぐに崩れて、また蒼夜は涙を流す。
それを優しく口づけて宥めながら、何度も愛してると呟いた。

「透さん…俺…もっと貴方と一緒に…」
「うん。一緒にいよう。ずっと…」
「ん…ふ、う…」

口づけて言葉を掠う。
言わなくても、ちゃんと気持ちは届いている。
愛してる。
一緒にいよう。
ずっと傍に。
そんな陳腐な、しかし本気の気持ち。
それが二人の間には確かにあると―少なくとも足立は、そう信じていた。
変わらずに寄り添っていける筈だ、と。

―しかし穏やかに月日が過ぎ、春が間近に迫る3月の某日。
足立の手が届く世界から、蒼夜は何も言わずに忽然と姿を消したのだった。




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