□キリリク
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「やあ、」

感情の読めない笑みを浮かべたイザナミがそこにいた。
そこ、と言っても見渡す限りの白い世界にただ二人、対峙する様に立っている。
だから直ぐにそれは夢だと思った。
イザナミはふわふわと空間を漂い、こちらへと近付いて来る。

「可哀相に」
「なに…」
「君だって気付いているだろう?」

指差される先。
つられて自分の胸元を見遣る。
一年ですっかり馴染んだ八十神高校の制服。
その開け放した上着の下。
白いワイシャツが。
―真っ赤に染まっている。

「………っ」

それを認識した途端、腹から込み上げる何かが口から出そうになって手で口元を覆う。
しかし込み上げる気持ち悪さに咳き込むと、手の平にべしゃりと付着する、赤。

「げほ…っか、かは…っ」
「可哀相に」

イザナミはもう一度繰り返して笑った。
その体はゆらりゆらりと緩やかに、いっそ優雅にたゆたう。

「君が守った世界は、しかしまるで君を拒むみたいにその生を終わらせようとしている。君は自らが選んで使い続けた力に、殺されるのさ」
「は…っはー…はー…」

ひゅーっと咽が鳴る。
呼吸が苦しい。
体の内側が何かに食い荒らされている様に痛み、口から血が止め度無く溢れ出す。

「可哀相な子だ。何もしなければ君は何事も無く生き、寿命を全うしただろうに」
「……は…っは…お、れは…死…ぬのか…?」
「このままなら、死ぬだろうね。―ただ、君が望むなら、この一年の君の役割を変えても良いよ」
「……?」
「君はこの土地に来ず、この事件の真実を知らずに平和に過ごす。どうだい?まあ、選択するまでも無いか」

誰だって死は恐いよね。
立っていられず床に倒れ込む頭上から、くすくす笑う声が聞こえる。
確かに、恐い。
どうしようもなく、恐い。
まだやりたい事なんて山ほどあって、皆とももっとずっと。

「……嫌、だ」
「うん?」
「変わっ…たら…皆、と…出会わなかった事…に、なる…」
「まあ、そうだね」
「それは…やだ…」
「そうじゃなきゃ、君は死ぬんだよ?」
「………っ」

もう声が出せなくて、しかしそれでも首を横に振る。
愛想を振り撒いて上辺だけで生きて来た自分に、初めて向き合ってくれた仲間達。
彼らは自分に助けられたと言うが、彼らと共有した気持ちや時間は、自分にとっても大切で掛け替えの無いものなのだ。
だから、彼らに出会え無い人生になど、価値を見出だせ無い。
―例え、この生がもうじき終わろうとも。

「…全く、君って子は。本当に愚か者だね」

イザナミは呆れた様にそう呟き、しかしそれでも何処か嬉しそうな色を滲ませる。
そしてそっとその白い指先で頭を撫でて来た。

「少しだけ、君に時間をあげよう。皆と別れを済ますが良い」

触れる指先から流れ込んで来る温かい光りで、少しずつ苦しさが治まってくる。
伏せていた顔を上げてイザナミを見ると、にこりと笑って手で視界を遮って来た。
すると段々意識が遠くなって行く。

「愚か者の築いた絆。それが創ったのはこの世界なんかじゃない。君達が創ったのは君達が繋いだ狭い世界だ。しかし、この世界は君達にとってはただの器に過ぎないはずさ」

解るかな。
ぐらぐらする意識の隙間に、柔らかい声が浸透していく。

「だから君の世界は君達の絆そのものなんだ。君が真に辿り着いた絆なら…或は―――」

ぱち。
急に開いた視界に瞬時状況が解らずに視線をさ迷わせた。
映るのは一年、見続けた部屋。
全て夢だったのかと、びっしょり汗に濡れて張り付いた前髪を払おうと上げた手が―しかし真っ赤に染まっていて。

「はは…夢じゃ無い…のか…」

声も出ずただぼたぼた落ちる涙。
今日は皆と別れる日。

「…せめて…笑って…」

涙を無理矢理に拭う。
気付かれない様に去ろう。
皆の中で自分の存在が思い出になるまで。
優しい皆を、悲しませたくは無いから。


――…


「じゃあ」

旅立ちのホーム。
皆が集まって口々に声をかけてくれる。
それに一つずつ返事をして、ゆっくりゆっくりこの掛け替えの無い一瞬一瞬を噛み締めた。
このさよならは、ただのさよならでは無いのだ。
多分、二度とこの温かな空間に存在する事は出来ないから。
また不意に泣きそうになって、無理に笑顔を作る。
もう、振り返ってはいけない。
後は電車に乗り込んで、笑っていれば良い。
そう、振り向いてはいけなかったんだ。
振り向かなければ。
しかし切なさに歪んだ顔で、振り返って。
不安や恐怖に叫び出しそうになって。
そして―世界は横転した。
空が眼前に迫り、綺麗な青を視界に映して。
駆け寄る皆の気配と声を感じながら、じわりと沸き上がった死の実感に、ゆっくりと目を閉じた。


――…


声がする。
上も下も無い真っ暗な空間をふわふわと漂っていると、何処からかざわざわと声が聞こえた。

(―蒼夜!戻って来いよ馬鹿…っ)

陽介。
馬鹿とは何だ。
泣きそうな声出すなよ。

(―月宮くん…っ私、まだ貴方にすっごくおいしいお弁当作ってあげれてないの…っ)

雪子。
頑張ってたもんな。
結構、上達してるよ。

(―リーダー…っ正義は負けないでしょ…?!あたし達、勝ったじゃん…!)

千枝。
うん、勝った。
皆が頑張ったからだよ。

(―センパイ!センパイセンパイセンパぁイ…っ)

りせ。
あーあ、酷い鼻声。
可愛い顔、ぐしゃぐしゃになってるんじゃないか?

(―センパイ…っあんたがいたから俺ら此処にいんだ…っあんたがいなきゃ…っ)

完二。
皆がいたから、俺がいるんだよ。
逆だ。

(―月宮さん…っこ、こんなの狡いですよ…っ僕らを助けといて、恩返しもさせない気ですか…!)

直斗。
そんな事無い。
皆と過ごした瞬間は、紛れも無い宝物だよ。

(―蒼夜…っお前が居たいなら幾らでもうちにいて良い…っだからもう、俺に家族を失わせるな…っ)

叔父さん。
本当は俺、せめて皆と一緒に卒業したかった。
もっと堂島家に居たかったよ。

(―お兄ちゃん…っ菜々子、お兄ちゃんのお嫁さんになるの…っだから…っだから…っ)

菜々子。
有難う。
菜々子みたいなお嫁さんが貰えるなんて、幸せ者だな。

(―センセイ)

クマ?
皆のざわめきより近くで、クマの声がした。
目を開くと、真っ暗な闇にぼんやり浮かぶファンシーなシルエット。

「センセイ、」

今度は目の前で、クマが呼んだ。

「クマ…そっか、クマはシャドウだもんな。意識の中を渡れるのか」
「そうクマ。クマはセンセイに届けに来たクマ!」
「届けに…?」
「そう、聞こえてるでしょ?皆の声」
「―ああ、聞こえてるよ」

必死で自分を呼ぶ声が、絶えず聞こえている。
だけど自分は。

「俺には、もう…応える事は…」
「諦めたら駄目クマ!」

ぺちん、と微塵も痛くないクマのビンタが頬に当たる。
クマは真剣な顔で、両手を広げた。

「クマは届けに来たクマ」

皆の、センセイを思う気持ちを!
瞬間、ぶわっと何かが輝き、真っ暗だった世界が金色に染まる。
温かさが全身を包み、涙が零れた。

「み、んな…」
「センセイ、皆待ってるクマ」

帰ろう?
差し延べられた手。
クマが向かう先に伸びる金色の道。
迷いも無くその手を掴んだ。
走り出したクマに、転びそうになりながらもついていく。
自分は、生きてる事に執着が無かった。
だってただ通り過ぎていく色褪せた日々なんて、生きている実感を持って過ごしている人間がどれだけいる?
明日世界が終わろうと、本当は焦ったふりしただけでどうでも良かったんだ。
けど、皆に出会って、日々が走る早さで過ぎて、それが大切だって気付いて。
今、こんなにも自分は生きていたい。
最初から諦めていたのは、自分だったのだ。
だから今走る。
この道は生きたいとあがく自分の心。
みっともなくたってがむしゃらに走る。
だってその先にある世界を、自分は知っているのだから。
一際輝く光りに足を踏み入れる。
暗闇を抜けた先。
視界を開けば、皆の泣き笑う顔。
眩しい眩しい、自分の居場所。

「蒼夜!」
「月宮くん!」
「リーダー!」
「センパぁイ!」
「センパイ!」
「月宮さん!」
「蒼夜!」
「お兄ちゃん!」
「センセイ!」

わっと皆が自分を呼ぶ。
光りが胸を満たす。

「…ただいま」

零れる涙を止める術を、その時の自分は持ち得なかった。


――…


「もう行くのか?」
「うん」
「菜々子も一緒に出るー!」

穏やかな桜咲く、4月。
非番で寝ぼけ眼な堂島に行ってきますと告げて菜々子と共に家を出た。

「エブリディ〜ヤングライフ〜」

ご機嫌に歌う菜々子に春の陽気さを感じながら、分かれ道でその姿を送り出し、自分も学校へと向かう。

「よ!相棒!」
「おはよう、陽介」
「あ、月宮くん!おはよう」
「おーす!」

背後からやってきた陽介に挨拶を返すと、ちょうど雪子と千枝もやってきた。
陽介が俺には挨拶無いのかよ!とツッコミ、皆で笑う。

「あー!先輩だー!」
「うーす」
「皆さんお早うございます」
「おはよう」

曲がり角からやってきたのは中睦まじい一年生トリオだ。
一気に賑やかになる通学路に、笑みを禁じ得ない。

「あーあ、たく、皆元気だよなぁ」
「陽介、なんか年寄りくさいぞ」
「うっさいわい。…あー、やっぱ、こうでなきゃな」
「うん?」
「いや、お前が…残ってくれて皆嬉しいんだぜって事!」
「―うん」

だって、俺の世界は此処にある。
そう呟けばいつの間にか皆がこちらを見ていて、一斉に飛び付いて来た。
その中には待ち構えていた様にクマもいて、また皆の賑やかな世界が広がる。

死の足音はいつの間にか消えてなくなり、自分を取り巻くのは眩しいばかりの世界。
これは皆がくれた、世界。
その中心で、自分は今日も笑顔で日々を生きている。





24000キリリク
律さまへ

結構な長編になりましたが…ご期待に沿えているでしょうか…!
主は皆に愛されて存在しているんだと言うのが伝われば良いなと思います。

この度はリク、有難うございました!



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