□パロ
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多分、今までの人生で1番緊張している。
足立は揃えて座った膝の上にある己の拳が、嫌な感じにじっとり汗をかいている事に気付いてぐっと握り直した。
向かい合う様に置かれたソファーには、切れ長の目をしたややきつそうな印象を与える美人が座っている。
足立は今、世界中の誰よりもその女性に恐怖感を覚えていたが、しかしそれでも、引く訳には行かなかった。

事の発端は春の訪れた八十稲羽から、蒼夜の姿が消えた所に遡る。
その姿が見当たらなく、堂島家にいるのかと問うと、彼の叔父で足立の上司でもある堂島が「蒼夜なら帰ったぞ」と何ともあっさりと告げたのだ。
足立は愕然とした後、しかし何だか妙に胸にすとんとその事実が落ちるのを感じた。
思い返してみれば、最近の蒼夜は酷く甘えん坊であり、かと思えば悲しい顔で笑って離れたりと、情緒不安定に見えたのだ。
否、そもそも彼が期間限定でこの町に来た事を足立は知っていた筈だ。
しかし幸せ過ぎて、甘い時間に酔いしれて、そんな大事な事をすっかり失念してしまっていた。
解っていたのだ。
彼が八十稲羽にずっといられない事は。
足立はその事実を認めたくないが故に忘却していたのだと気付いて苦笑し、ならば今の自分に何が出来るかを考えた。
彼を諦める気など毛頭無くて、何も無かった様に以前の生活をするなど考えられない。
ならば、答えは一つだった。
正面突破。
足立は思い立ったが吉日とばかりに八十稲羽を飛び出し、今に致る。
そう、足立は正面切って―蒼夜の実家を訪れているのだ。
そして向かい合うのは、蒼夜の母親なのである。
足立は緊張で張り付く喉に内心舌打ちしながら、再度ドラマの様な言葉を繰り返した。

「非常識なのは百も承知です。だけど…僕には彼が必要なんです。―蒼夜くんを、僕に下さい」

お願いします。
足立は深々と頭を垂れて懇願する様に言い放った。
蒼夜の母は暫く沈黙を保って来たが、そこに来て漸く溜息と共に言葉を吐き出す。

「足立さん。私ね、男同士である事は別に気にしないの。海外じゃそれほど珍しくも無いしね。だけどそういう人間ばかりじゃないわ。特にこの国じゃ、そういう関係を公表すれば、どうしたって辛い事がある。解るわよね?」
「…はい」
「あの子は…我が子ながら頭も良いし、気配りの出来る良い子よ。幾らでも、世間がみんな祝福してくれる様な女の子と偽りの無い道を歩む事が出来る」
「…解っています」

鋭い眼光に臆しながらも、しかし足立は引かずにぐっと目の前の人物を見据えた。
自分だって、何度もそう考えたのだ。
実際に口にして蒼夜を遠ざけようとした事もある。
しかし自分は彼がいない一日をもう、考えられない。
彼がいないだけで世界は色褪せ、全てが無意味にすら感じるのだ。
そしてそれは、蒼夜も同じであると足立は信じている。
遠ざけようとして泣かせたあの瞬間、もう泣かせたくは無いのだと強く思ったのだから。

「僕は…蒼夜くんに頼ってばかりの情けない人間です。彼が与えてくれるものの半分も、僕は返せてないかも知れません…だけど」

これだけは、自信を持って言える。
足立は大切に、強く言葉を紡いだ。

「僕は…誰よりも彼を愛して、います。それだけは譲れないし、引けない」
「あら、母親を前にして誰よりも、なんてよく言えるわね」
「う…」

蒼夜は間違いなくこの人の子だ、と思わせる鋭い眼光が足立を見据えたが、しかしたじろぎつつも瞳を逸らさないで、耐える。
しばし睨み合いの様な空気が続いた後、足立には無限にも思えた重い雰囲気が、しかし不意に笑い声によって破られた。
一体何を思ったのか、蒼夜の母親が笑い出したのだ。

「あははははっ」
「……あ、あの…?」
「あー…おっかしいわぁ。貴方、本当にうちの子が好きなのねぇ」

からから笑う女性は今までの雰囲気とはがらりと変わり、柔らかい笑みを浮かべる。
足立は初見でその外見が蒼夜とは似ていないと思ったが、そうして釣り気味の瞳を弓なりに柔らかくして笑う雰囲気が、彼のそれと酷似していると思った。

「ま、これぐらいで引く様なら蹴り出してやったけどね」
「は、はぁ…?」
「…あの子はね、凄く良い子なのよ」

事態を飲み込めていない足立に、しかし蒼夜の母親はゆっくりと呟き出した。
その瞳は優しく、しかし何処か悲しげに伏せられ、足立はじっとその続きを促す様に黙る。

「…昔からね、我が儘を言わないのよ。男の子なんだから反抗期の一つや二つ、あってもおかしくないのに、何があっても不満な顔すらしないのよ。にこにこ笑って何でも無い、大丈夫ってね。解っていたのに…甘えちゃうのよね。母親として失格だって思うでしょ?」
「………」
「…だからね」

貴方には感謝してるのよ。
今までの出来事をひっくり返す様な意外な言葉が飛び出し、足立は目を見開いて目の前の女性を見遣る。
そんな様子に苦笑してから、また女性は話始めた。

「あの子ね、帰って来た時、目が真っ赤だったの。我が子ながら中々男前な顔してるのに、まぁひっどい顔でねぇ。…あの子のあんな顔、本当に久しぶりに見たのよ。何があったかなんて絶対に言わないけど…あれからあの子、いつも部屋で指輪嵌めては溜息吐いてるわ」
「蒼夜くん…」
「あれ、貴方があげたんでしょう?…まあ男が来るとは思わなかったけど…泣く程貴方が好きなのね、あの子は」

そう言った後、女性は足立から視線を外し、不意にリビングの入口を振り返った。

「どうせそこにいるんでしょ?こっち来なさい」
「………」
「あ」

かちゃりと扉を開いてそっと入って来た姿を見て、足立は不意に泣きそうになった。
胸から熱いものが込み上げて、堪らなくなる。
それは近くに来た人物―蒼夜も同じらしく、じっと真っすぐな瞳を足立に向けていた。

「透…さん…」
「蒼夜くん…」
「あーはいはい、親の前で見つめ合わないの」

蒼夜の母親は肩を竦めて息子を側に呼び寄せると、その頭をがしっと下に押し付け、自身と共に下げさせる。

「ふつつかな息子ですが、宜しくお願いします」
「え、え…!」
「母さん…え、じゃあ…」
「言わないけど、顔に出てるもの」

あんたの初めての我が儘。
そう言って快活に笑った母親が、蒼夜の背中をばしんと叩いて足立に押しやった。
蒼夜と足立はきょとんとして向かい合う。
親に認められたと言う事は、つまり、離れなくても良いと言う事だ。
これから先何年だって共に。
際限無く、共に。
傍に。
足立はふっと笑んで両手を広げ、蒼夜に向ける。

「…お帰り」
「……っ」

蒼夜はその腕に飛び込み、しがみつく。
足立も、もう離さないと言う様にしっかりその体を抱きしめたのだった。


――…


一晩泊まった翌日、足立は八十稲羽に帰る電車に乗っていた。
勿論、その隣りには蒼夜の姿がある。

「なんか…夢みたいです」

蒼夜は顔を綻ばせながら呟いた。

「夢じゃないよ」
「…はい。俺…また透さんと一緒にいられるんですね」
「うん。もう、ずっと、一緒だよ」

さらりとした髪を撫で、頬を撫でてやると蒼夜は眩しい様に目を細めて笑みを浮かべた。
足立はそれを優しく見返し、自身も笑う。
どうやら神様はこの世界に存在するらしい。
ずっとこれからを、この存在と一緒に歩いて行きたいと願った想いが、汲み取られ、叶ったのだから。

開け放した窓から桜の花びらが一枚流れ込んで来て、二人は窓の外を見遣る。
目に映る世界は見渡す限り鮮やかなピンク色。
四季は巡り出会った季節が訪れ、そしてそれもあっという間に追い越して行くのだろう。
いつか離れていた時間すら、共にいる時間が追い越すのかも知れない。
そんな事を考えると、胸が踊る。
嗚呼、なんて。

「素晴らしき世界」

足立は呟いて傍らの存在を抱き寄せる。
その温もりは、春の日だまりの様な心地良さだった。



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