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瞬間、心臓が止まるかと思った。

朝いつもと変わらない笑顔で見送ってくれた蒼夜が、帰宅すると床に倒れていたのだ。
気が動転しながらも足立は直ぐに救急車を呼んで病院へ連れて行く。
何か重い病だったらと不安になる足立に、しかし医者が告げた病状は−風邪であった。
疲労もたたっていると言う話しだが大事に至るものでは無く、薬を貰って帰宅し、今は足立宅の布団に寝かせている。

「具合悪いなら言ってくれれば、仕事なんか休んだのに」
「…駄目ですよ…そんな事言っちゃ…」
「馬鹿、倒れてる蒼夜くん見てほんと心臓止まりそうだったんだから!」
「…すいません……いつも…大丈夫だった…から…」
「いつも…?」
「けほっけほっ……なんか胃に入れて…薬飲んで…寝てれば…大丈夫だった…から…」
「蒼夜くん…」

蒼夜の顔には悲哀は無く、それが当たり前だったのだと知ってますます胸が苦しくなった。
蒼夜は誰かに頼る事をしない。
それは周りに頼れる人がいなかった為についた癖だ。
だから風邪で熱が出ていたって、自分で何とかして治していたのだろう。
足立にだって幼い頃は親が看病してくれた記憶がある。
しかし蒼夜にはもしかしたら、それも無いのかも知れない。
足立は温くなった冷却シート張り替えてやりながら、蒼夜の頭を優しく撫でてやる。
すると少年はびくっとして、戸惑った顔をした。

「あの…俺、大丈夫…ですから……」
「大丈夫な訳無いでしょ!なんにも気にしなくて良いから、ちゃんと寝なさい」
「………はい」

蒼夜はぐすっと鼻を啜った。
それは風邪のせいでは無いと、浮かんだ涙が教える。
だるくて怖くて頭が回らない心細い時に、誰かがいる事に戸惑っているのだろう。
弱さを見せる事に慣れていない少年が、弱さを出してしまう事で相手がどうするのか不安なのかも知れない。
だから足立は出来るだけ優しく優しく頭を撫でる。
そうすると蒼夜はうーっと声を上げてぼろぼろと涙を零した。

「恐かったよね…ごめんね、気付いてあげられ無くて」
「そ、んなの…透さんの…せいじゃな…い…」
「蒼夜くん…甘えて良いんだよ。僕は君に優しくしたくて堪らないんだから」
「透さん…透さん…」

蒼夜は何かが壊れた様に泣きじゃくって足立にしがみついた。
その姿は幼子の様で、やはりまだ子供なのだと痛感する。
しっかりしていて、何でも出来て−その実いつも何処かに孤独を抱えている少年。
強い姿も好きだけど、そんな弱さが酷く愛しく思う。

「心配しなくて良いよ。安心しておやすみ?」
「…透さん、此処にいて……」
「うん。いるよ。だから、しっかり寝て早く治そうね」
「……うん」

頭がぼーっとしているのかいつもの敬語も無く、ただ蒼夜は足立をしっかり掴んでいる。
服を握って顔を埋め、温もりに縋っている姿が可愛くて、足立は頭を撫で続けた。
暫くそうしていると、やがて蒼夜は眠りに落ちる。
足立もその髪を撫で続けるうちに、やがて眠りに落ちたのだった。


−−…


「ん……」

足立はいつもの様に良い香りで目を覚ました。
鈍い思考でそういえばお腹が空いている等と考えた瞬間、一気に目が覚める。
慌てて隣を見ると蒼夜の姿は無く、キッチンに行くと案の定蒼夜がご飯を作っていた。

「あ、お早うございます」
「おはよ…じゃなくて!何してんの!寝てなきゃ駄目でしょっ」
「いえ、その…薬が効いたのか熱下がったので…」
「あのね、風邪だけじゃなくて過労もあるんだよ?君は働き過ぎなの!今日ぐらい休みなさいっ」
「で、でも…」

足立に叱られしゅんとしながら、蒼夜は俯く。
そんな様子に首を傾げながら何か理由があるのかと足立が問うと、蒼夜は困った様に眉尻を下げた。

「俺…最初、透さんにご飯作って上げる為に此処に来たから…それが出来なかったら…俺の価値って無くなる気がして……」

恐いんです。
消え入りそうな声が呟いた。
足立は瞬間叫びたい様な衝動にかられて顔を歪ませ、しかし何を言ったら良いのか解らずにただ蒼夜を強く抱き寄せた。
この少年は、与え続ける事でしか己の存在価値を見出だせ無いと言うのか。
だからこんなに、倒れるまで平気な顔して与え続けて。
だけど、そうじゃない。
そうじゃないのだ。

「馬鹿…っ蒼夜くんが何かして上げたいと思うのと同じ様に、周りだって君に何かして上げたいんだよっ!君は与える事でしか繋げないと思ってるかも知れないけど、本当の絆ってのは、与えて与えられて繋ぐものなんだからね…っ」
「………与えて、与えられて…?」
「そうさ…っだから君に足りないのは更に与える事なんかじゃない、与えられるものを受け取る事なんだ…っ」
「受け取る…事……」

蒼夜は足立の言葉の意味を理解しようと口内で反復した。
きっと伝わると信じて、足立は蒼夜が理解するまで言葉を紡ぐ。

「だから、出来なくても良いんだ。君が出来ない時は、僕が補うから。確かに僕は頼りないかも知れないけど、君を支える事ぐらい、全力でしてやる。だから、無理しなくて良いんだよ。誰も君の弱さを責めたりしない。君が頑張ってるのなんて、君を知っている人はちゃんと解ってるんだから」
「………そっか…俺、何でも自分がやらなきゃって思ってて…でもそれって、皆を信用して無いって事なんですね…」

蒼夜は視界が開けた様に顔を上げて足立を見上げた。

「俺が頼られると嬉しい様に、皆も頼られると嬉しいんですね…お互いに信頼し合えば、どちらも無理しない…って、事…ですね」
「そう。そうだよ。そう言う事なんだ。だから僕は、普段君に助けてもらってる分何かしてあげたいし、頼って欲しい。一人で無理に頑張る事、無いんだよ!」
「………はい」

気持ちが通じて嬉しそうに笑う足立に、蒼夜もまた笑顔を浮かべる。
ずっと無意識に感じていたプレッシャーが、今は嘘の様に消えて、体が軽くなった気さえしていた。

「有難うございます。…やっぱり透さんは、凄い人だ」
「僕は自分の気持ちを伝えただけだよ」
「へへ。俺、貴方を好きになって良かった。…それから、好きになって貰えて…」

本当に、良かった。
はにかみながら浮かべる笑顔は晴々としていて、足立も晴れやかに笑み返す。

「それじゃ、解った所で蒼夜くんはお布団に戻りなさい」
「はい。…あ、でもご飯途中…」
「僕が引き継ぐから。今日は蒼夜くん感謝デーです」
「はは、何ですかそれ」
「今日は僕が蒼夜くんのして欲しい事なんでもしちゃうんだから!」
「……なんでも?」
「……僕に出来る事なら…」
「じゃあ…」

ご飯出来たら食べさせて下さい。
余りに普通に蒼夜がそういうから、冗談か本気か捉えそこねる。
しかし足立がぽかんとすると蒼夜が途端に赤くなり、駄目ですか、と困り顔で尋ねてきた。

「俺、一度体験してみたかったんですけど…」
「………ぶはっ」
「あ、わ、笑…っ!」
「ぶははは…そ、蒼夜くんて…くくく…本当可愛い…」

足立はツボに入ってひとしきり笑った後、了解、と蒼夜に頷いて見せる。
笑われて少し拗ねた顔をしていた蒼夜だったが、了承を得て途端に顔を輝かせた。
そんな顔をさせてあげられるなら足立は幾らでも我が儘を聞いてやろうと思う。
足立は蒼夜を寝かし付けた後、悪戦苦闘しながら何とかご飯を仕上げるとお盆に乗せて運んだ。
八割形は完成していたから失敗もせず、盛り付けのセンスは皆無だったが美味しくはある筈だ。

「蒼夜くん、出来たよ」
「有難うございます」
「よし、じゃあ食べさせてあげるね」

そう言って足立は上半身を起こした蒼夜の口元に、自身用に作っていたのだろうお粥をふーふーと冷ましてから近付けてやる。
蒼夜はそれをはむりと口に含み咀嚼してこくりと飲み込むと、にこりとはにかみながら笑った。

「おいしいです」
「良かった。はい、もう一口」

そう言って差し出されたレンゲを蒼夜は素直に口に含む。
そんな温かく甘い時間。

「たまにはこんな日が合っても良いでしょ?」

足立がそう悪戯っぽく片目を閉じると、蒼夜は頷いてまた一つ、眩しい笑みを浮かべた。






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