今日の兄さん(2014年)

□12月2日
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準備も満足にできないまま、目を通しておかなければならない書類も鞄に詰め込んで、兄弟でセントラル駅のホームを走っていた。

本当は、黒髪の上官の東方司令部への出張で、副官のエドワードと余裕のある出発だったはずなのだが、その上官に、火急に処理しなければならない案件が入り、今更取りやめる訳にはいかない出張は、エドワードへと託された。
余りに急な変更に、文句のひとつもふたつもみっつも並べれば、その代わり、同行を一人、誰でも好きな者を選んでも構わないと提案されて、他があるはずもなく、弟であるアルフォンスを指名し、上官の思惑通り、エドワードは口を閉ざした。
アルフォンスと一緒だとなれば、出張は、エドワードにとって、内容はどうであれ、今や有意義なものへと変貌している。

「あ」

「何?兄さん?」
「悪い、先に行っててくれ。」

ボールを投げるように書類の入ったケースを投げて寄越されて、アルフォンスは反射で受け取ったものの、背中を向けた兄に、驚きの声を抑えられなかった。

「出発まで、時間、もう無いよ!」
「大丈夫、大丈夫。間に合わせっから、先に乗っててくれ。」

コートをはためかせて列車とは別方向に駆けて行くのを、焦るばかりの気持ちで、アルフォンスは見送った。とりあえず席は確保されているので、席取りに奔走しなくても良いが、とても先に座っておく気にもなれず、一番近い車両に乗り込んだところで、待つこととした。この出入り口でいれば、万が一兄が遅れることがあっても、逸れることもないだろう。

出発のベルがホームに鳴り響き、駅員が胸ポケットから繋がる懐中時計で確認している。汽車から半身を出しているのは、もうアルフォンスと車掌だけだ。
ベルが鳴り終わったところで、漸くエドワードが駆けてきた。
「兄さん!」
駅員の吹く笛の音が切れぬ間に、アルフォンスは兄へと腕を伸ばした。
動き始めた汽車はスピードを徐々に上げ始める。
アルフォンスは脇にある手摺を掴んで、更に身を乗り出し、差し出してきた腕を辛うじて掴むと、渾身の力で引き寄せた。
車体がガタンと大きく揺らぎ、そこでホームが切れて、間一髪とはこのことだと、なんとか乗車できた幸運に大きく息をつく。

「ひえーっ、あっぶねー!」
「もう、ヒヤヒヤしたよ!何しに行ってたんだよ!本当に!」
問われたエドワードが、そうだそうだと嬉しそうに、手に持っていた包みを見せた。パン屋の名前が入っていて、その名前には覚えがある。旅をしていた頃、この駅に立ち寄った時には、よく買い求めたものだ。
鎧だった自分は食べることはできなかったが、ここのサンドイッチを買っておくと、頬を染めて喜ぶ兄の姿が見られたので、格別な印象がある。

「ここのチキンのサンドイッチ、美味いんだよ。」
温かいチキンが挟まっているようで、なるほどいい香りがする。

「旅してる時さ、この駅に来る度に、次は絶対お前に食べさせるって決めてたんだ。」

何度も何年も繰り返した決意。
戒めと、失望と、希望と。
兄はそんなことを考えながら、この駅のホームを踏みしめていたのか。
もちろん、初めて聞いた。

「食おうぜ、アル。」
「うん。」

旅をしていた時のエドワードの秘密の一つは、今日ひとつ終わり、少し彼を軽くしたようだった。

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