連載小説・T

□身代わり
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黒澤八重は、妹・紗重と一緒に立花家には行かず、父親の書斎の前でうろうろしていた。


言ったところで何も変わらない。何の解決にもならない事は分かっているが、それでも言わずにはいられない。


意気込みを表すかのように、帯を少し胸元に上げ、書斎のお外からお声をかける。




「お父様。あの、八重です」

「八重?入りなさい」

「はい。失礼します」




引き戸を少しずつゆっくりと横にずらす。


毎度のことながら、父親と話すのに、話すだけなのに、八重はどうしてこうも緊張するのだろうか。


厳格すぎる良寛は、村の民どころか、実の娘からも取っつきにくい存在だ。



(私でもこうなっちゃうんだもの。他の人はもっと大変ね。お母様は、お父様と笑って会話した事があるのかしら)





書斎に入った途端、八重は異様な威圧感に苛まれた。


帯を上げるだけの意気込みじゃ事足りなかった。


こんなに喉がからからになるのなら、お水を一杯飲んでくればよかったと思った。



良寛は普段となんら変わらない顔を、娘・八重に向けているつもりだが、八重には怒っているように見えた。


これから父親に言う事が、もしかしたら怒らせる事かもしれないと思うと、そんな顔に見えてしかたない。


八重は、なかなか用件をきりだせずにいた。




「八重。私に何か用事があるのではないのか?」




例えどんなに忙しくても、愛娘の話には耳を傾ける。


良寛は非情な訳ではない。

妻も娘二人も大切に想っている。愛情を注いでいる。

それが上手に表現出来ない。



祭りの全てを取り仕切る事が出来る祭司様は、こういう事には不器用だった。





「次の紅贄祭、樹月君と睦月君が〔双子御子〕として…………」




八重はそこまでしか言えなかった。

これ以上続けたら泣いてしまいそうだった。


今、自分の片割れの妹・紗重は、どんな気持ちで、どんな表情で樹月と睦月の二人に会っているのか…………。


もしかしたら、感情を抑えられず泣きじゃくってはいないだろうか…………。



自分達が〔双子巫女〕として選ばれるのも辛いが、幼なじみが選ばれるのも辛い。


その事実を、その運命を受け入れる事しか出来ない非力な自分がどうしようもなく辛くて悔しい。




八重は、お裁縫で縫いつけたかのように上唇と下唇を密着させた。


その唇は少しかさつき、震えていた。










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