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□咲き初める花
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キンと肌を刺すような冷気が漂う朝の空気の中で、千尋は羽織った上着の襟元を引き寄せるようにして息を吐いた。
吐く息はすぐに冷えた空気の中で白く濁り、やがて大気に溶けるようにして消えていく。


「朝はやっぱり冷えるな…」
ぽつりと零しながら、今日の一日の予定を考え、流れを確認するようにぼんやりと空を見上げる。

う〜ん…と思案する合間に、無意識に細い顎先に添えた指でとんとんとリズムを取るようにしながらぶつぶつと呟く。
「あれはこうして…ああ、あの件もそろそろ…」

一人呟きながらああでもない、こうでもないと考えていると、背後の露台に面した扉が軽い抵抗音をさせて開いた。
思わず物音に思考を中断し、反射的に振り向くと。


「こんな時間から外に出て何をしている。体を冷やすぞ」
呆れたような、けれども千尋の行動を見越していたかのように、苦笑を浮かべて現れたのは忍人だった。
「あ、忍人さん。もうお仕事は終わったんですか?」
そのまま開いた大きな窓に背を預けるように軽く凭れたまま腕組みをしてこちらを見ている忍人の双眸に微笑みながら応える。

その千尋の言葉に、やれやれと肩を竦めるようにしながら、忍人はゆっくりと足を踏み出すと数歩の距離を縮めて近付いた。

――ふわり

千尋の傍まで来ると、苦笑交じりのため息を付きながら手にした物を広げる。

「君はもう少し自分の立場を考えろ」
言葉こそは端的だが、そう言って、千尋の肩にもう一枚、上着を着せかけた。その動作はどこか優しい気がした。

肩を包んだ衣の温かさもそうだが、掛けてくれた忍人の心遣いが嬉しくて、千尋もまたふわりとした笑みを見せて礼を言った。
その言葉に、「別に。君に風邪でも引かれて仕事に支障をきたしても困るからな…」と素っ気なく答える忍人。


「あったかいです。ちょっと今朝は早く目が覚めてしまって。外もお天気になりそうなのでつい…」
ふふっ、と悪戯を見つかった子供のように首を竦めながら答える千尋に、やれやれとまたため息を付く忍人。


「今の季節、天気はよくとも気温は低い。それに、迂闊に窓の傍に近付くなと、君には何度も注意しているはずだがな…」
ほら…と着せかけた衣の襟を正す仕草の後、軽く肩を押されて千尋は室内に戻るよう促される。
「すみません…」
「君のすみませんは、あてにならない上に聞きあきた。――早く中に戻れ」
「…はい、分かりました」
可愛らしく答えた言葉にバッサリとした答えを返されて、ちょっと落ち込みそうになる。

「…冗談だ。ただ君にも、普段からももう少し危機感を持ってもらいたいだけだ」
ここは警備は厳重だが、もしもの事もあるからな、と忍人は独り言のように呟く。

「君は君だ。だが、同時にやはり公としての立場も持った人でもあるからな」
力なく俯いた千尋の様子に、忍人は眉を潜めるとそっと千尋の髪を撫でるように軽く触れた。

「もちろん、君の安全は保障する。俺がこうして傍にある時は絶対に」
忍人の言葉と動きに顔を上げた千尋の瞳に、こちらを見つめる忍人の真摯な瞳が映り込む。
思わず重なった視線にドキッとなった千尋の頬に熱が上がる。

「君の事は、俺が守る。女王としての君も、千尋と言う、一人の女性としても。だが、君にも十分に気を付けてほしい。そういう事だ」
「…………」
「君に何かあっては困る。俺の立場的にもだが、何より…俺個人の感情としても、な」
見上げた千尋の瞳に小さく微笑むと、忍人の広い掌が千尋の頬を包み、長い指先が撫でるように滑らされる。
そのどこかぎこちなさを残す仕草が、普段多くを語らない忍人の、千尋に対する心情を表しているかのように感じられる。


触れる指先の優しさが、「君が大切だ」と伝えてくれるようで…。


「忍人さん…。はい」
こくんと頷いた千尋に、満足そうに細められた忍人の表情に、つられるように千尋も微笑み返した。




「先ほど采女が君に、と茶を持ってきた。冷めないうちに飲むといい」
千尋を先に促すようにして室内に入ると、後ろ手で露台へと通じる扉を閉めると忍人が視線で奥のテーブルを示す。
見ればまだ湯気の立つ、温かそうなお茶の香りが千尋の鼻腔を擽った。
ちょうど体もひんやりしていたし、軽い喉の渇きも感じていた千尋は美味しそう、と頬を緩ませる。


「忍人さんもお仕事が終わったのでしたら、一緒に飲みませんか?ひと眠りする前に」
昨夜は夜通しの仕事をしていた忍人を気遣い、千尋がそう誘ってみた。
放っておいたら千尋を送りだした後、ろくに何も口にせずに束の間仮眠をとり、また起きて仕事に向かうのであろう忍人の姿が想像できた。
数瞬忍人は千尋の言葉に沈黙した後、「ああ、そうだな」と頷いた。

「じゃあ、行きましょう」
ニコッと微笑んだ千尋は、そのまま忍人の手を取ると、軽く引っぱるようにしてテーブルの方に向かう。
「…おい、」
そんな千尋の子供っぽい行動に、短く息を吐くと忍人は素直に従って歩き出した。




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