Treasure

□未来への階
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好きだと言葉にされるよりずっと強い力で縛られた。
心だけではなく、魂全てを持っていかれてしまったのだと思う。
ほんの僅かな時間対峙しただけで、彼女は私の全てを攫っていった。

身も心も、そして未来すら。
私の持ち得る全ては我が君、貴方のものになった。

黒い龍を倒し、はいそうですかと王になれるはずもなく。
私と我が君は各地を転々としながら違う時空でともに戦った仲間たちの元を尋ねて回っていた。
風早と那岐だけは龍を倒して暫くしてから異世界より当然のように駆けつけ、既に私たちの元にいる。

「二人きりを満喫したかったのに」

と唇を尖らせた我が君だったけれど、その目はとても嬉しそうだったことを憶えている。
見知った者がいるというのは安心出来るのだろう。
やはり私は違う時空の私。
我が君も時折どうしていいか分からない素振りを見せることがあった。
違う時空の、私ではない私を知るものがいる。
それは妙に私を心許ない気持ちにさせた。

この時空の私と那岐は面識がなく、未だに打ち解けるまでには至っていない。
風早は恐らく違う時空の私を知っていて、この時空の我が君をも知っていて、それでも我が君が私を見て嬉しそうにするのを穏やかに見詰めるに留まっている。
それに比べて那岐は複雑そうだ。
突然現れた胡散臭い男、しかも常世に与していたような人間を我が君が慕っている。
五年間護り続けた少女が降って湧いたような相手に取られてしまったのだ、当然の態度だろう。
我が君を中心として織り成される奇妙な四人の組み合わせは、それでも我が君を支えるべく和を為していた。



今日は風早と那岐は我が君の代理として師君の元を訪れている。
師君ならば我が君を見ても動じないとは思うけれど弟子である風早が出向くのが一番だろうと判断したからだ。
那岐を連れ立たせたのは驚いたことに我が君の提案によるもの。
一人では危ないと(荒魂も出ないというのに)言い張った少女に対抗する術を風早は持たない。
千尋という少女の面白いところはここにあるのだと思う。
言い出したら絶対に引かない。
それどころか自分を危機に晒したとしても他者を優先する。
安全のために一人でも多く我が君の近くに置いておきたい風早としては、今回の提案は非常に心苦しいものだっただろう。
姫のためなら文字通り何でもするような男が三人の男の中では一番信用出来そうもない男に姫を預けていかねばならないのだから。
とはいえ、私とて姫の意に沿わぬことをするつもりはない。
宝玉のお蔭である程度の情報はあるにせよ、それはやはりどこか余所余所しい記憶に過ぎない。
私自身のそれではないと、心が軋むのだ。

「ひーらぎ?」

ぺしょ、と背中に張り付く感覚がして、ふわりと振り返れば我が君が背中から私に抱きついていた。
気配に気づかなかった自分に呆れながらも微笑を返す。
物思いに耽りすぎてどうやら気を張ることを忘れていたらしい。

「どうかなさいましたか、我が君」

最近、彼女は髪を結うことを止めている。
理由は分からない。
ただこうして時折触れてくるときにさらりと肌を撫でるその感触は好きだ、と思う。

「難しい顔してた。何考えてたの?」
「難しい顔、ですか…そうですね、我が君のことを考えていただけなのですが」
「…何かよくないこと考えてたんでしょ」

顎の先でぐりぐりと私の肩を押しながら、我が君は私の頬に白く丸い頬を押し当てた。
暖かな幼い熱はやはり私の知らないものだ。
お慕いしている、と心が強く訴えてくるのにどこか理性がそれを拒んでいるかのよう。

「いいえ、違いますよ。我が君と二人きりでどのように夜を明かそうかと…そればかり」
「……ば、馬鹿!そんなこと…」
「ご安心ください、我が君。貴方が望まぬことをこの忠実なる僕がするはずもありません。路銀が勿体無いからと一部屋引き払ってはいますが、ご心配なさらずとも私は床で充分ですから」

今までは風早と私が同室、そして那岐と我が君が同室という、年齢順かと思うような部屋割りをしていた。
しかし今日は我が君と同じ部屋、それも寝台が一つという何ともお誂え向きな状況。
風早からは「千尋はまだ幼い子供です。手出しはしないでくださいね」と、まるで父親や母親のような忠告をいただいていて、暗に手を出したら剣を向けるといわんばかりに背中の獲物に手を掛けられては私とて折角助かった命は惜しい。
知略では勝てる自信はあっても、人間ではないものに勝てるだけの武力は備えていない。

「だめよ、それじゃ柊が風邪を引いちゃうじゃない」
「ですが、風早とは交代で床で寝ていましたし、別に何の支障もないと思いますが」
「え?そうなの?那岐とは一緒に寝てたけど」
「……どちらかと言えばそちらの方が問題かと存じます。それに那岐とは違い、私は体格が些か彼より大きいですからね。私と共寝などすれば窮屈な思いをさせてしまいます。どうか我が君、私のことはご心配なされますな」

にこりと笑い、手を伸ばして我が君の頭を撫でた。
子供扱いに不満そうに唇を尖らせた彼女は仕返しとばかりに私にますます強く抱きつき、馬鹿、と可愛らしい声で私を罵ってくる。
最初に会ったときはあんなにも凛々しく神気を纏い戦の比売神のように振舞っていたというのに、こうして二人でいるとただの少女のようだ。
何も知らない年相応の、あどけない、愛らしい少女。
それがどうして私なんかを望むのだろう。
身に余る光栄すぎて…戸惑ってしまう。

「柊の、馬鹿」
「…我が君?」

突然声が弱々しくなり、不審に思って首だけでなく身体ごとぐるりと我が君に向き直る。
私に腕を振り解かれた形になった我が君は両手を広げたままぽかんと私を見つめていて、それからじわりと蒼目を潤ませると白い手で顔を覆って肩を震わせ始めてしまった。
指の隙間からぽたりと雫が落ちる。
涙。
透明で美しい、涙。
ズキリと胸が痛む。
この痛みを私は、知らない。

「何か失礼をしてしまったのでしょうか。我が君、どうか泣かないでください」
「馬鹿!柊の馬鹿、ばかぁ…!」

泣く女人は苦手だ。
泣く子供も、苦手だ。
小さい頃の二ノ姫を主とすることを納得したのはきっと彼女が泣かなかったからだ、となぜかそんなことを思う。
そうだ、彼女は泣かなかった。
幼い頃からずっと泣くことを許されずに育てられてきたのだから。
そんな彼女は痛ましく、けれども強くしなやかで、触れれば脆く壊れてしまいそうな危うさを持っていた。
風早が彼女の心を支えなければきっと今のこの姿はなかっただろう。

「わたし、頑張って…覚悟も、したのに…っ。柊はそうやってすぐ、私を遠ざけて…わたしばっかり、ひいらぎが、好きで、ずっと、ずっと追い掛けて…!」

しゃくり上げる彼女の、目から落ちる大粒の涙。
そっと白い頬を包み込むと手袋が少しずつ濡れていく。
ずっと堪えていた涙を、彼女は私のために惜しげもなく流すのだ。
それはこの上なく尊いことのように、私には思えた。

「どうしたら、…どうしたら、ひいらぎは…柊は私を好きになってくれるの?」

その言葉に私は瞠目し、そして言葉を詰まらせた。
聡明な彼女は気づいていたのだ。
私が未だに記憶と心の狭間で戸惑っていることを。
それでも私を好きだと、言ってくれている。
私でさえ分からない「私」という存在を欲して、こんなにも綺麗に泣いてくれている。
胸が熱くなる。幸せだと、思う。
愛しいと強く感じる。
これがどの「私」の感情かなど、その愛しさの前では些細な問題のように思えるほど。
彼女が、愛しい。

「…そのままで、充分です…我が君」

濡れた睫毛に口付けて、目尻に、頬にと涙を辿って唇を落としていく。

「私は貴方をお慕いしております。今はまだ不慣れなことばかりですが…しばらくすれば自然に馴染みましょう。私の心の中には確かに激しく燃え盛るような貴方への思いがあります。しかし、それと同じだけ戸惑いも存在しているのです。我が君を思えば思うほど、その思いは誰のものなのか分からなくなり…触れてしまえば激情に飲まれるのではないかと恐れてしまう…。意気地のない男だと軽蔑なさいますか?」

唇に触れる寸前でそう囁けば、我が君は更に蒼目を潤ませてぽたぽたと涙を落とした。
しかしそこには先ほどまでの曇りはない。
美しく輝くその瞳を綺麗に細め、ううん、と私の問いかけを否定した。

「嬉しい、有り難う柊。私…柊が触れてくれるまでずっと待ってる。だから怖がらずに触って欲しいの。柊になら私の全部をあげるから」

それがどういう意味か分かって言っているのだろうか。
恐らくそういう意味ではなく、精神的な意味合いの方が多いのだろうけれど、それにしてもこれは。

(あまりにも、情熱的なお言葉ですね)

初めて触れる唇は涙でひんやりとしていて、柔らかく、微かに塩の味がする。
口付けても何の記憶も蘇らないということは、きっと我が君と口付けるのは「私」ではなく私が最初なのだろう。
随分と辛抱強く愛したものだ、と自分の意気地のなさに内心で嘲笑して唇を離した。

「お言葉に甘えて、触れさせていただきました。我が君の唇は何と柔らかく愛しいのでしょう…ずっと触れていたくなります」
「もっと、して…?柊の唇も凄く柔らかくて気持ちいい」
「…姫、それは……」
「柊に口付けしてもらうと、胸が暖かくてどきどきして…幸せ」

夢見心地で涙に濡れたままの目を閉じる我が君の、艶めかしい表情にぞくりと自分の中の雄を刺激される。
今日から数日風早たちがいないというのに、こんなにも無防備に私を煽り立てるなど、誰かの言葉を借りるならば軽率そのものだ。
まだ折り合いがつかない自身の感情を持て余しながらどうしようかと思案する。
据え膳食わぬは、と覚悟を決めるか、それとも風早に斬られる前に押し留まるか。

「ねえ、柊…もっと」

恐らく彼女は口付けだけを強請っている。
それは分かっていてもどうにもその先を連想してしまうのは、私が不純だからだろうか。
苦笑してもう一度口付けるとぽうっと頬を染めて私の服の袖を掴んでくる愛しい人の姿。

「困ったな…これ以上私にどうしろと仰るんですか」

口付けの先をお許しくださるのなら嬉しいのですが、と耳元で囁いた私に、ようやく自分の迂闊さを知った我が君が小さく悲鳴を上げる。
けれど怒った風でもなく、ただくすぐったそうな顔をして私から離れようとしない彼女を見ていると、どうやらそれも遠くない話になりそうだ。

腕の中にすっぽりと抱きしめて、金色の髪に顎の先を埋めるようにすれば、顎置きにされた我が君がぺしりと私の脛を叩く。
今はまだこのくらいの距離から、「私」の知らない二人を知っていけばいい。
どうせ私の身も心も未来も全て我が君のものだ。
だったら少し、足を緩めても罰は当たるまい。

二人でやっと足を踏み出した未来への階は、まだまだ長く続いているのだから。




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「なみだいろ。」柚季様より頂きました。

セリフリクエスト(キリ番はいつも踏み損ねていますが、これは間に合いました!yeah!)
軍師と姫のお話で、柊に「これ以上、私にどうしろと?」
という何とも微妙なセリフでお願いしたにも関わらず、素敵なお話になっています。ちょっと強気に行けない感じの柊に萌え。というより、私の方が姫に邪な思いを抱いてしまいそうになりました…。
ゆず様、ありがとうございました!
(蒼樹)

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