40万小説

□愛のくちづけを交わそうか。
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「平和島くん、この前は手伝ってくれてありがとう」

「いや、構わねぇよ」

交わされる声は変わらない。なのにそれは、鋭い刃を持って臨也の胸を刺す。

…静雄に別れを告げて、3日。こんなに1日1日が長かったことなど、あっただろうか。こんなに表情の動かない日々など、あっただろうか。
それでも、24時間の決まったサイクルで、次の日はやってくる。寝たって寝なくたって、笑ってたって泣いてたって、容赦無くやってくる。

あれ以来、静雄とは一言も話していなかった。
けれど、同じクラスで席も近いのに声を一度も聞かないなんていうのは無理に近い。会話せずとも、低く響くぶっきらぼうで優しげな静雄の声は嫌なほど耳に届く。
痛かった。別に煩いとかそういうわけではない。
ただ、この上なく胸が痛くて苦しくて、いくら別れを告げたからと想いまで断ち切れるはずがないと思い知らされる。
…そしてその痛みが、壊れてしまいそうなほどの苦しさになっていることも。
いっそ、壊れてしまいたいくらいに――。


臨也は、街灯の照らす道を一人で歩いていた。この時間に帰路につくのも、静雄と歩いて以来三日ぶりだ。
というのも、委員会の話し合いがあり残る羽目になった。サボってやりたいのは山々なのだが、担当の教師が鬱陶しい。これと言って拒否することもなければ帰宅を急く理由もなく、仕方なしに委員会に出た。
そして勿論帰宅時間は遅くなり、今暗い中を歩いているのである。

はぁ。無意識のうちに吐き出した溜め息は、薄暗い空気に柔らかい白に浮かびあがって消える。歩道の左側を、走ってきた自転車が通り抜けた。指先が酷く冷たい。
こんなに歩道は広かっただろうか。こんなに指が冷えた記憶があっただろうか。とふと思い――
ああ、当たり前か、と嘲笑が零れた。

左側にはシズちゃんがいた。その手はぎゅうと握られて暖かかった。

『臨也』

『で、また先公に呼び出し食らったんだよ。いい加減にしろって話だよな』

『当たり前だろ』

『じゃ、気を付けて帰れよ』

笑った声も、優しく紡がれる名前も、低く響く話し声も、もう傍にはいない。
あるのは、虚しい感情だけ。

指を曲げる。握り締めると、指先よりほんの少し温かい掌が冷えた。擦っても擦っても、芯の冷たさは拭えない。

「…冷たい」

呟いてみた。言葉は返ってこない。夕暮れに騒ぐ雀の声が、遠くなっていく。
冷たい。冷たいよ。暖めて。冷たくて、苦しいよ。

差し出す掌はない。指先の冷たさは、心までも冷やしていく。

手前、手冷てぇな。まぁ、俺が平熱高いから丁度良いかもな。

不意に過った声は、付き合い始めた春先に聞いた台詞。初めて握った静雄の手は、臨也よりもごつごつしていて、大きくて、優しかった。
指先と一緒に、心がふわりと暖かくなった。

ああ、もう、シズちゃんは過去でしかないんだ。記憶でしかないんだ。
――まだ、こんなに好きなのに。

ぶわ、と涙が溢れた。頬を滑り落ちた雫は、すぐに温度を吸い取られ冷たくなる。
冷たいよ、シズちゃん。暖めてよ。全部、全部、暖めて。記憶だけじゃ、暖かくならないの。

「シズちゃん…っ!」

名前を呼んだら、もっと苦しくなった。涙がぼろぼろ零れた。嗚咽が止まらなくなった。

全部、シズちゃんのせいだ。

…ううん、分かってるよ。

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