30万打小説

□その水よりも純粋な、
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そして、放課後。臨也は久しぶりに水着を来て、プールサイドに立っていた。
久しいせいか緊張や恐怖のせいか、足が震える。救いがあるとすれば、補習を受ける人数が少ないことか。

今頃、シズちゃんはどうしているだろう。
俺が居なくて何事も起きないことに安堵しながら帰宅しているだろうか。ざまぁみろと俺を馬鹿にしているのだろうか。まだ本当に泳げるのか疑っているのだろうか。
『手前泳げねぇのか、カッコ悪ィ』静雄が付け上がった顔で臨也を見下す。
失敬な。俺を馬鹿にするな。そう思えば、足の震えは収まってきた。
自分の単純さを笑いながらも、臨也はほぅと息を吐く。恋愛感情に意識が傾いたから落ち着いたのか、はたまた彼という存在に安心感を抱いているから落ち着いたのか。
…何にしろ、有難い。溺れても助けないだの溺れろだのの辛辣な言葉は正直胸が痛むが、これが俺たちだ。分かってる。

早く泳げ、と教師の言葉に急かされ、臨也は冷たい水に足を浸けた。冷たさに身震いしながら辛うじて届いた底に足を付くと、そういえばこんな感覚だった、と最後にプールに入った日の感覚が身体に蘇る。
水に顔をつけると、無意識に喉元に力を入れてしまう。それを振り払うと、壁を蹴って泳ぎだした。耳元でばしゃりと水が跳ねる。クロールを始めれば、身体は水中を滑るように進んだ。向こう側まで泳ぎ、ターン。身体は疲れてはいるが、静雄との喧嘩に比べれば何てことはない。

漸く泳ぎきり、臨也はプールサイドへ上がった。
ほらみろ、泳げたじゃないか。心中で凄んで、思わず満足げに笑みを溢した。誰かに見られていたら恥ずかしいことに気がつき、はっとして顔を引き締める。
ここに居もしない相手に意地を張る自分も何だかな、と思いつつ、臨也はプールサイドから離れて歩く。

教師も先刻プールを離れた。とりあえずもう泳いだのだし、後は終わるまでじっとしていよう。いくら泳げたからと、平気になったわけではない。
そうして、ベンチに腰掛けようとした時だった。

突然、此方に歩み寄ってきた男子に腕を掴まれる。振り解こうとするも、相手の力は強い。このまま掴まれていては痣が出来るのではと思うくらいに。

「お前、誰だよ…ッ」

尋ねて気がつく。こいつはつい先日引っ掛けた相手だ。恨みを買っているだろうな、とは想像していたけれど。
彼は臨也の腕を掴んだまま、プールサイドに歩いていく。勿論、臨也も引き摺られるようにプールに近づいていく。
――怖い。まざまざと残る恐怖という記憶に火が付き、他の感情を燃やしつくし、増大していく。
拒絶しようにも、相手の力が強い上に恐怖に身体が言うことをきかない。言葉が喉元で詰まって声にならない。

「手前のせいで…!」

低く唸った彼は、臨也をプールへ突き飛ばす。身体は金縛りに遭ったように動かない。身体は落下し、高く水飛沫が上がった。水面が図上で揺らいで視界がぼやける。
怖い。早く上がらないと。足をつかないと。溺れる。息が出来ない。
色んな声が頭の中で響く。けれど全てが、行動へ移す回路へ繋がらない。
苦しい。苦しい。助けて。

助けて、シズちゃん。

縋った相手は、喧嘩相手。ああ、居ないのに。助けてくれるはずがないのに。
身体は、浮遊力に逆らって沈んでいく。足は未だに動かない。情けないにもほどがあるだろうに。
誰か助けてくれるのだろうか。自力じゃなければ助からないだろうか。
何でもいい。苦しい。怖い。助け

ばしゃあん、と激しい音が水中にまで響いた。流石に驚いて、何事かと思えば。
臨也を突き落としたはずの男子が、臨也から大分離れた場所に浮いていた。

状況が理解できない。
――そしてそれに、拍車をかけたのは。

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