30万打小説

□その水よりも純粋な、
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「じゃ、俺は授業サボるからよろしく」

臨也の言葉に、門田は呆れたと言いたげな目線を送った。
普段なら、ドタチンこわぁい、だとかふざけるのだが、今はそんな余裕もない。またサボるだろうと踏んだ先生が来て捕まりでもしたら堪らない。

「お前、水泳の授業サボって何回目だ?今年も補習までサボるつもりだろ」

「ん、正解。じゃあね」

臨也はそう笑ってひらりと手を振ると、プールの着替えのため更衣室へ移動しだした生徒の間を抜けて教室を出た。

そのまま屋上へ向かう。誰もいない屋上は、昼食を食べる生徒がいる時間とは雰囲気も騒がしさも違う。そんな中、臨也は目を細めて天を仰いだ。
風は通るが陽射しはきつい季節だ。プールはさぞ気持ちいいのだろう。
…まぁ、人によるけどね。
臨也は日陰を見つけると、そこに座り込んだ。あと一時間ほどはこの場所にいなければいけない。いや、離れたくない。
どんなに暑くても、プールの授業に出るよりかは、幾分ましだ。

というのも。
臨也がまだ今よりも純粋だった、小学生の頃の話だ。
プールの授業中、25メートルを泳いだ臨也がプールサイドを歩いていた時だった。

「こらー、プールサイドを走らない!」

蒸し暑い夏。プールが楽しみで仕方ない生徒など珍しくなく、プールサイドをバタバタと走り、注意される者も多い。
勿論その頃は一般的な生徒だった臨也は、きちんと歩いていたのだけれど。

こらぁ、と怒る先生の声は止まない。
いい加減ちゃんと話を聞けば良いのに、幼稚な奴ばかりだ。ひねくれた臨也がそう思っていた時だった。

どん、と身体に何かがぶつかった。軽い臨也の身体は撥ね飛ばされ、ふらつく。
危ない、と足場を確保したと思いきや、プールサイドの段差に足を取られ。
ばしゃあん、と派手な音を立てて、臨也の身体はプールに落ちた。
やばい。そう思い足をつこうとしたが、不意に足の筋に痛みが走り、臨也の頭は一瞬で混乱する。
ごぼりと口から息が漏れた。水面の向こう側に、焦った先生の顔が見える。
縋るように伸ばした腕は掴まれて、どうにか引き上げられたのだけれど。

それ以来この通り、臨也は見事に水が、特にプールが苦手になった。
別に、泳げないわけではないのだ。場合による。一人きりならまだ良いのだが、周りに人がいると途端に足が竦んでしまうのだ。完全にトラウマになっている自分に笑える。
信頼を置いている門田にすら話しておらず、ただ単にプールが嫌いだから怠けていると思われている。勿論新羅にも、更に静雄なら尚更だ。
寧ろ、こんな幼稚なトラウマを知られる方が屈辱だろう。

「あー…暇」

静雄はプールが好きだ。だから、欠かさず授業には出ている。故に、ここに来るものはいない。時たま用務員が掃除に来て、またサボって、と言われるくらいだ。
せめて、プールに入る静雄を遠目に見てみたい。彼は運動神経はいいから、かなりの距離を泳げるのだろう。きっと女子の目を引いているに違いない。引き締まった身体も浮き上がる筋肉も、きっと運動部にも見劣りしないはずだ。細い自分とは、比べるのも愚かしいのだろう。
はあ、と零れた溜め息は、甘い。そんな自分が気持ち悪く思いながら、臨也は瞼を閉ざしてその姿を想像した。

胸が苦しい。ふわふわしたり沈んだり、彼に会う度に忙しなく動きを変える。
例えるなら、恋愛感情だ。
会いたい。色んな面を見たい。けれど、想像だけ。高望みをしても、手を伸ばす勇気がない。
俺は、告白する勇気のない引っ込み思案な弱虫なのだ。勿論、それは恋愛に限る。普段の素行を見ている者にそんなことを言っても笑われるだけだ。
…だから、余計に言えない。

まったく、損な性格に育ったものだ。自らに嘲笑しながら、臨也は冷たいアスファルトに寝転がった。
このまま寝て過ごそう。暇も何も、寝てしまえば問題ない。寝過ごしたら…その時はその時だ。
呑気に思いながら、決して不安や心配のないわけではない胸に蓋をして、臨也は瞼を閉ざした。



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