30万打小説
□唇からアダジオ
1ページ/5ページ
「臨也!」
突然の声が、臨也を呼び止める。
その粗暴でいて何処か嬉々とした声に、臨也は思わず頬を緩めながら振り返った。
雑踏からひとつ飛び出た金色が、此方にずんずんと歩んでくる。見慣れた彼の姿に、臨也はナイフを出した。
「シズちゃん。わざわざ迎えに来てくれたの?嬉しいなぁ」
「は?何寝惚けたこと言ってやがる、臨也くんよぉ」
静雄の手には美容室の立看板があった。広告以外の用途に喧嘩の武器があったなど、看板だって知るはずがない。
歩んできた静雄は、臨也を睨むように見つめる。その瞳を睨み返すように、するりとナイフを取り出した。
素直じゃないな、と思ってしまうのは、思えるだけの関係だから。
喧嘩という仲は崩れないまま、まるで付け足されたような言葉。
恋人同士、なのだ。
それも、ちゃんとした相思相愛の何処にでもあるようなカップル。
何処にでもいないような二人ですら、くっつけば極一般的なものになってしまうのだ。更におかしくなることは案外無かったりする。
…それにしても、こうして臨也の存在を嗅ぎ付け、隠しきれない嬉しさを滲ませて駆けてくる姿は、犬さながらだと思う。…本人に言えば、怒られそうだけれど。
――ただ、難点を言えば。
「もっと素直になればいいのに」
「…はぁ?ふざけたことぬかすな」
やっぱり、素直じゃないのだ。
別に、言葉にされないからと不満を漏らすわけではない。静雄からの愛情は言動の端々に感じられるから。
俺を見つけたときの嬉しそうな顔とか、喧嘩が嫌いだと言うわりに好戦的なところとか、急に花が咲いたみたいに嬉しそうに笑うところとか。
そんな彼が愛しくてたまらない。
「そんなに喧嘩したいならしようか。我慢できない子供なんだから」
「っ、てめええぇぇぇえ!!」
別に静雄が口下手なのは知っているから、愛の言葉を望んでるんじゃないけれど。
…ふと、ろくに好きだと言われたことが無いことに気がついた。
.