30万打小説

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次の日。静雄は、ジャケットを返そうと新羅の家に伺った。
昨日喧嘩をしてから、連絡もつかないまま。
やはり気まずくもあり、臨也の家に行けば鉢合わせしかねない。勿論新羅の家でも必ず会わないという確信はないのだけれど、こんなふうに連絡がつかないまま会ったことが無かったから、せめて連絡をつけてからにしたい。

チャイムを鳴らし呼びかければ、玄関からはバタバタという激しい足音が響いてくる。
勢いよく開いた扉から覗いた新羅の顔は、どこか焦燥していて。
またセルティ絡みかと顔をしかめれば――
新羅の口から、信じられない言葉が紡がれた。


「臨也が、記憶喪失になった」


わけが分からなかった。腕から力が抜けて、抱えていたジャケットがばさりと音を立てて落ちる。
うちにいるから、と新羅に引かれるがままに、静雄は部屋に入る。
リビングのソファには、いつもと変わらない格好の、見慣れたシルエットがあった。隣に座っていた門田が臨也に声をかけ、門田だけが振り返る。
静雄は混乱する頭のまま臨也に駆け寄った。目の前に立てば、硝子玉のように澄んだ臨也の瞳が静雄を見上げる。

「臨也、俺が誰か、分かるか?」

ばくばくと心臓が五月蝿い。
なぁ、笑えよ。
『分かるに決まってるじゃん、馬鹿にしてるの?』『シズちゃんだろ、平和島静雄』『喧嘩したのがむかついたから、吃驚させたかったんだよね』『吃驚した?まさかそんなに心配するとは思わなかったな』
笑えよ。そう言って、こんなに馬鹿みたいに心配している俺を一蹴しろよ。

――しかし臨也の唇から紡がれたのは、困ったような声だった。


「ごめんね、分かんないや」


胸に杭を打たれたような衝撃。目の前が真っ暗になるような気すらして、思わずその場にへたりこんだ。
びく、と驚いた臨也は、動けずに固まる。それを見た門田は臨也を隣の部屋に連れていった。

「静雄」

代わりに話しかけてきたのは、新羅で。
まさか。こんなの嘘だ。信じたくない。縋るように新羅を見上げるも、困った笑みを返されただけだった。

「…そういうことさ。臨也は今、記憶を失っている。記憶は戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。
臨也の場合は特殊でね。場所や土地の記憶はあるんだ。ただ、人間を忘れている。とは言っても、まだどうなのかはハッキリしていないけど…」

「原因は、」

「分からない。僕が連絡したら誰か聞かれて、おかしいと思って住所を教えて、ここまで来てもらったんだよ。そうしたら案の定、臨也は記憶を失っていた」

あまりに信じがたい現実に、頭がくらくらする。
まるで普段の覇気を無くした静雄を新羅は痛々しい目で見るも、元気付けるように笑った。

「まだ、どうなるか分からないし。
…静雄はこの後どうする?」

「…臨也に、会いてぇ」

――呟けば、新羅は目を細める。
『それは、今の臨也と?』
尋ねられた言葉に、当たり前だ、と返す。…しかし確実に、その言葉は静雄の胸を抉っていた。

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