60万打小説
□Teach me how to love
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「いざやぁあああああ!!」
「何?シズちゃん暇なの?」
「手前、飼い猫の分際で外ででかい面してるんじゃねぇ!!」
「えー?何のことだか…勘違いも甚だしいよ」
それからというもの。
毎日送られてくるようになった柄の悪い野良猫に、静雄は嫌になるくらい喧嘩をしていた。
喧嘩は好きではないのだ。強ければ楽しいだろうと言われても、相手をボコボコにしたからと言って清々しくもなんともない。
「どいつに聞いても、手前に指図されて来たって言ってんだよ!!」
赤い眼をした黒猫。誰に尋ねても返ってくるその返事に該当する奴なんか、静雄の記憶には臨也一人しか思い当たらない。
黒猫は不幸を運んでくる、とは言うが、正にその通りだ。こんな外も内も真っ黒の奴なんかそういないが。
「酷い言いがかりだな、そんな奴等のことを信用するわけ?」
「手前よりよっぽど信憑性があるんだよ」
睨みをきかせて言えば、臨也は不機嫌そうに顔を歪めて、くるりと踵を返した。
そうして、欠片の悪びれもない声が、静雄の耳に届く。
「喧嘩する相手より信頼されないなんて、不愉快だよ。
君が何もかも悪いのに」
――頭に血が上る。全身が総毛立ち、言い様のない怒りが神経を伝って足を突き動かす。
そのまま、臨也の背中に飛びかかった。
僅かに驚いた瞳が静雄を見、それでも地面に落ちる寸前に受け身を取った臨也は、静雄の下に仰向けに倒れこんだ。
赤い瞳が、怒りに歪んだ静雄の顔を映し出す。
何が分かると言うのだ。
喧嘩なんかしたくなくても挑まれる。
誰とも話さなければ、周囲と離れた誰もいない場所に住めば、暴力に触れることはないかもしれない。けれど、それは他者のぬくもりもひとつ残らず絶つこと。…そもそも、触れるぬくもりも無に等しいのだけれど。
けれど、そのすべてを自らのせいにされるなんて気に食わなかった。
飼い猫として、何一つ不自由などなく、愛されて育つこいつにだけは。
「手前に何が分かるんだよ!!ふざけんな!!」
腹の底から沸き上がる怒りが声を震わす。
けれど、憎しみを抱いた静雄の瞳を見上げる臨也の表情はただひたすらに無でしかなく。
聞いているのか。そう唸ってやろうとした時。
不意に細い指が静雄の頬を捕らえた。
何事かと驚き、一瞬動きを止めてしまう。
…その瞬間に、視界が暗く覆われた。
そうして唇に触れたのは、先日も触れた柔らかな感触。
怒りなど頭からすっかり飛んで、呆然と臨也を見詰めていれば、唇を離した臨也はふっと笑った。
濡れた赤い瞳が間抜け面を映す。あまりに噛み合わないその空気に、臨也はやはり笑った。笑顔も、敵ながらどこか愛らしく、それでいて美しさを認めざるを得なくて。
「可愛い、シズちゃん」
愛玩動物にでも言うかのように囁いた臨也は、再び静雄に唇を重ねてきた。
そうして、唇の隙間に濡れた感覚が触れる。反射的に唇を開けば、ぬるりと入り込んできた生暖かい舌に身体が震えた。
「ん…はぁ、ふ…」
キス。これもキスか。改めて現状を確認すれば、先刻までとは別の意味で頭に血が上った。
臨也の舌は、静雄の舌をすくい、上顎をちらりと掠めながら互いの唾液を絡ませていく。
ぞわり。ぞわり。口腔から生まれる感覚は、淫楽として静雄の腰に熱を送る。
呼吸のために離れた顔。ちらりと臨也を見やり、その表情に呼吸が止まった。
…赤らんで、熱に浮かされた表情。その瞳には、欲情の影が微かに渦巻いていて。
――不意に胸に生まれたはしたない感情に、戸惑った。
怒りは直ぐに爆発させる薄っぺらい理性ですら、予想外の本能は押し止めてしまうらしく。
「っわ…!」
その身体を無理矢理引き剥がし、驚いた臨也の肩を、混乱した頭のまま地面に押し付けた。
「っ…、痛い、んだけど、シズちゃん」
「何なんだよ手前は!ふざけるな!!」
怒鳴る静雄を、臨也は痛みに顔を歪めたまま見上げる。
…しかし、臨也は眉間から皺を消した。ピンと立つ耳が、ひくりと揺らされる。
そうして、澄んだ声が一言、辺りの静寂を爪弾いた。
「シズちゃんが好きだよ」
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