1周年小説

□一炊の夢
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「ほら、早く行くぞ」

優しく微笑んだ静雄に手を差し出され、臨也は素直にその手を取る。掌から全身に伝わるような優しい温かさは、まるで幸せを具現化したようで。
ゆっくり歩きながらたわいもないことを話していれば、不意に静雄は立ち止まる。それにつられて臨也も歩みを止めた。

「どうしたの?シズちゃん」

首を傾げて問いかければ、静雄の腕が伸びてきて。
ぐい、とその胸に収まった。
普段の怪力とは全く違う、優しい腕。鼓動が跳ね上がり、臨也は唇を結んでその胸に擦り寄る。
幸せだ。まさか、シズちゃんと付き合いたい、なんていう馬鹿みたいな夢が叶うなんて。
でも、嬉しい。
ずっとこのまま、温かい腕の中で――



「早く起きなさいよ」

唐突に聞こえた声に、臨也ははっと目を覚ました。身体を起こせば、ソファで寝ていたせいで僅かに身体の節々が痛い。
ううん、と背伸びをして、睡眠中の意識に割り込んだ波江を見やった。波江はひどく苛立たしげな表情をして、手にしていた書類を臨也に差し出す。

「…何これ」

「貴方が今日中に目を通したいから集めておけって言った資料よ」

「あー、思い出した。ありがとう」

また閉じようとする瞼を擦りながら、臨也は18時を差す時計を見た。確かソファに座ったのは16時過ぎだったから、単純計算で2時間も寝ていない。
机の上の冷めたコーヒーを啜りながら資料に目を通し、臨也は溜め息を吐いた。

「良い夢を見ていたのに、酷いな」

「私は早く帰りたかったのよ。後でとやかく言われるのが面倒だから起こしてやっただけ」

コートを羽織った波江はそれだけ毒々しく吐き捨て、すぐに外へ出ていった。
部屋に残された臨也は、一通り目を通した資料を机に置き、冷たいコーヒーを飲み干す。もう一杯飲もうと入ったキッチンで、臨也は思案して瞬きをひとつ。
…良い夢だった。確かにそうだ。だけど、どんな夢だったか――
ふわり、と頭に浮かんだ顔に、臨也はその夢を思い出した。
そうすれば、自然と零れた笑み。けれど、それは喜びではない、自嘲の笑み。

静雄と付き合う夢。

なんて滑稽極まりない。
喧嘩相手と付き合う夢など、馬鹿げている。ありえるはずがない。そんな願ったり叶ったりなことなど、都合よくあるものか。

臨也は静雄が好きだ。
でもそれは完全な片想いで、会えば喧嘩三昧の毎日。それ以前に男同士。恋人のこの字もないような関係なのだ。
それなのに、未来にあるかすら分からない――いや、あるはずがないものが夢に出るなんて、相当重症だ。虚ろな妄想でしかない。
あんなにも幸せなことなど、

「あるはずがないのに…」



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