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□切愛和音
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臨也は、未だにぐらぐらとする頭を抱えたまま、池袋を歩いていた。
まだ、昨日使われた薬品の副作用が抜けない。思考は鈍いし、動きも自ずと緩慢になる。
無駄だと思いながらもそんな自分を叱咤し、臨也は半ば無理矢理に歩行速度を上げた。

…こんなときに静雄に会うのは、何よりも厄介だ。太刀打ち出来る気がしないし、況してや逃げ切れる自信もない。
それでも此処にいるのは、散々様々な薬品を使われ、身体は行動を起こすことすらも拒否し、終電を逃したせいで。
迷惑極まりない彼の行為にはほとほと腹が立つが――
臨也には、彼に呼び出されれば行かざるを得ない理由があった。

臨也は静雄のことが愛しい。
それは紛れもなく恋愛感情に等しく、臨也を苛み続けていた。
…それにたった一人気がついたのが、新羅だった。
勿論、そんなのをばらされて静雄に避けられようものならそれこそ堪えられない。
だから、それを弱味として、犯され、薬品の実験台になったりしてきた。
それでも苦しむのは自分一人だ。静雄に不快な思いをさせないなら、構わない。
静雄と犬猿の仲でいられるなら――


「いーざーやーくーん」

地の底から響いてきたかと思わせる重低音。
思わず振り返れば、そこには会いたくないと願った姿があった。
逃げられるかな、と思うが、逃げるしか道がないのも承知している。それでも、喧嘩をせずに逃げられるのが一番だ。

「やぁ、シズちゃん。今日は見逃してくれないかな?」

「じゃあ手前が来なけりゃいい話だろうがよぉ。こんな朝っぱらから」

「これは、…」

新羅の家に居たからで。そう言おうとしたものの、もしも、どうしてと尋ねられたら答えようがない。しかし一応にも、嘘を吐いても簡単に知られない自信もある。
――だが、その一瞬の臨也の沈黙に、静雄は何か感付いたのだろう。訝しげな目が臨也を見やった。

「…何だよ、言え」

「仕事、だよ。他に何があるっていうの」

――普段なら簡単に言えるのに、跳ねる鼓動に合わせて声が震えてしまう。
いつもならすぐに着火するはずの静雄を頼って平然を装うも、疑心を孕んだ瞳が臨也をじっと見ただけで。

「…嘘は吐くな」

「嘘じゃな――ッ」

ぐらり、と突然視界が揺らいだ。気持ち悪さが空の胃からせり上がってきて、身体から力が抜けていく。しゃがみこむにも足は体重すら支えられなくなり、バランスがとれなくなる。
やばい、倒れる――

――しかし、臨也を受け止めたのは地面では無く。
柔らかな感触が、ふらついた臨也を包み込んだ。

その腕の温度に、急に鼓動が跳ね上がる。勿論、驚きだけではなく、ただの緊張でもなく。

「大丈夫か!?」

焦ったような静雄の声に、嬉しさと同時に湧く息苦しさ。
大丈夫だよ、と返して、その腕から離れようとするも、静雄は離そうとしない。このままでは此方の心臓がもたないと言うのに。

「シズちゃん、離してよ」

顔を上げられないまま静雄にそう言った。…しかし、静雄は動かない。
なんのつもりだ、とおずおずと静雄を見上げれば、その視線は臨也の首筋を貼り付けられたように見ていた。
…そこには、情事の際つけられた、注射の跡が残っていた。拒否反応により不自然に腫れたそこは、明らかに良くないことを暗示していて。
驚きと、緊張と、また別の動揺にも似た感情。
静雄は、険しい顔をして口を開いた。

「…手前、何して……」

「ッ、新羅が勝手に俺に――っ」

何を弁解するつもりだったのか。
しまった、と思ったときには遅く、更に疑心を増した顔が、臨也を射抜いた。
ぐっと喉元で声が詰まる。こんな嘘、痛くも痒くも無くて、寧ろ吐いた方が自分の都合には良い。
…なのに、唇は頑として動かないまま。

「新羅、なんだな…?」

不意に紡がれた、低く唸るような声。
否定も肯定も出来ないでいれば、静雄は抱き止めていた臨也の肩を離して、歩き出した。

何も行動に移せないままその背を見送った臨也にも、静雄が新羅の家に行くだろうことは何となく予想がついた。
きっともう、新羅にばらされる。気持ち悪がられるだろうか?避けられるだろうか?それとも、素直に断られるのだろうか?何もなかったふりをされるだろうか?
思えど、自分にはどうすることも出来ないのだ。
今まで何のために堪えてきたのだろう――
そう思えば、視界が滲んだ。



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