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□言葉の代わりに口付けを
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「臨也…!!」

後ろからかけられた聞き慣れた低い声音に、臨也は驚きと僅かに逃げ出したい気持ちに駆られながら振り返った。
平和島静雄。高校時代からの犬猿の仲である“はず”の仇敵。
なぜ“はず”なのかと言えば――もしかしたら、彼と何かあったのかもしれないのだから。


ほんの一週間前。
波江の置いていったワインを勝手に飲んで、そこで記憶が途絶えた。
気がつけば寝ていて、起きれば着た覚えのないジャケットを着て、居た覚えの無いベッドの上に居た。
そしてその時には気がつかず――その日の就寝前に、ふと目を向けた先に見覚えのある蝶ネクタイを見つけてしまった。
勿論、臨也の記憶上ここ最近静雄が家に上がってきた覚えはない。
…だとしたら、可能性はひとつ。記憶が曖昧なその時間。


一週間ぶりに池袋に来たのだが、静雄のものであると考えられる蝶ネクタイはポケットに入っていた。
しかし、静雄はバーテン服は何着も持っており、今も蝶ネクタイをしている。一概に静雄のものと決めつけることも出来ないのだが、しかしながら普段着で蝶ネクタイなどを付ける知り合いなど彼しかいない。
だから、と言うわけではないが、直ぐにその話を切り出す勇気が出ないでいる。

「や、久し振りだね」

一定の距離は縮めないまま、臨也は平静を装って笑みを浮かべ、静雄へひらりと手を振った。静雄は相も変わらず臨也を睨んでいる。…心なしか威力に欠けるのは気のせいだろうか。

「何で来るんだよ、手前」

「シズちゃんに決められる筋合いは無いだろ。そんな常識的なことも分からないの?残念な頭だね」

「手前…ッ!!」

静雄の額に血管が浮かぶ。分かりやすいな、なんて思いながら、臨也はナイフを取り出すと耳に残る音を響かせて刀身を出し静雄へ切っ先を構える。
冷たい銀を見た静雄は、苛立ちを織り混ぜた瞳を険しくさせて直ぐ傍に立ててあった重さのある看板を片手で持ち上げると、肩に担ぎ上げゆっくりと歩を進め出した。
その動きを一瞬たりとも見逃さぬように静雄をじっとみて後退り、隙を見て走り出す。

「手前、待ちやがれ!!」

「待てって言われて待つはずがないだろ、馬鹿じゃない?」

静雄を怒らせるのは息をするくらい簡単だ、なんて思いつつ何処までも嫌味ったらしく言いながら、臨也は走る。
このまま挑発していれば、間違いなく静雄は手に持った看板を投げるだろう。しかし人で賑わう道では投げられることはない。適当なところまで走って、何処かで姿を眩まそう。
そう思い、口を開くのをやめて走っていたのだけれど。

静雄は一向に離れない。撒こうと速度を上げるも、それに意地でも付いてくる。
かと言って、一週間前のように無闇に悪口を叩くわけでもないのだ。勿論、看板が投げられることもない。
何より、その顔は恨みや苛立ちと言うより、悩んでいるような微妙な顔をしていて。
…明らかに、普段と違う。

――ああ、もう。
普段は殆ど生まれることのない苛立ちという感情が湧き出てくる。
此方は忘れようと、平然としようとしてやってるというのに、何なんだそのやる気の無さは。

わざと人通りの少ない奥道に入り彼の腕力の発揮を誘うが、結局静雄は追いかけてくるだけで。
何のつもりだ。何があったかは知らないが、ここまで相手に感付かれるほどの妙な態度をとるなど、喧嘩を売ってきておいて失礼ではないか。こちらも隠そうとしているのに。


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