影の薄い彼女と彼らの日々

□見慣れぬ存在
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「あ、の…助けて下さって、ありがとうございました」


おどおどと目を泳がせながらも深く頭を下げる姿は、礼儀を重んじるジャッポーネらしい。女はゆっくりと顔を上げて、いかにも恐る恐るという感じで俺の目を見上げた。東洋人は欧米人に比べ総じて皆小柄だが、この女は特に華奢に見える。病み上がりであることも手伝って、女は一層弱々しい生き物として俺の目に映った。これを野猿がマフィアだと勘違いしたというのだから、もはやあいつの短気ぶりには呆れるしかない。

女が倒れた瞬間は、俺も見ていた。呻き声一つ上げず、糸の切れた人形のように崩折れた女。醜い断末魔と共に絶命する人間しか見たことの無かった俺にとって、それは酷く新鮮で、また驚くべき光景であった。
命とは、こんなにも儚いものであったのか。「生」に食らいつくようにしてしぶとく生きてきた俺のような人間には、匣の力や最先端の医療技術をもってしても中々回復しない女の容態は苛々するものであったと同時に、何か苦い感情を抱かせる複雑なものであった。

――先程の一件についてもそうだ。倒れそうになっているにも関わらず、受け身もとらず、悲鳴さえ上げようとせず、ましてや誰かの助けを期待するわけでもなく、ただ目を閉じて、己の身を襲うであろう痛みをひたすらに待つ。その姿が、何故か女が崩折れた瞬間と重なって見えた。苛立ちが、再び込み上げてきた。


「…。…薄い」

「はい…?」


無意識に零れた呟きを拾って、女が不思議そうな顔をする。俺は溜息を吐きたいのを堪え、きょとんとした様子の小柄なジャッポーネを見下ろした。


「生存本能が薄い。若い癖に、何で生きることに疲れたような顔してるんだお前は。…もっと見苦しく生きてみろ」


相変わらずぽかんとした表情でこちらを見ている女に、自分でも「何で俺は仮にも初対面のしかも一般人に説教垂れてんだ阿呆か」という気持ちが俄かに沸き上がってくる。それでも、この見るからにお人好しなジャッポーネが、人間にとって大切なものを簡単に手放そうとしているようにも見えたから。

俺は掴んだままだった女の腕をおもむろに引っ張って身体を持ち上げた。赤ん坊を抱き上げる要領で縦抱きにすると、突然の事態にフリーズしていた女が漸く焦ったように暴れ始めた。


「え、ちょ、な、何で抱っこしてるんですか!?お、おお降ろしてください…!」

「一人でリハビリするにはまだ早いだろうが。ただでさえ弱っちいんだから大人しくしてろ」

「よ、弱っちいって…。で、でもだからこそ私は身体を動かさないといけないというか、とにかく降ろし「ああ?」……このままで、お願いいたします…」


わざと凄んでみせれば諦めたようにがっくりとうなだれる女に、歩きながら自然と口唇が吊り上がる。この光景を野猿が目撃したらと思うと、なんだか愉快な気持ちになった。












自分が他人と違うからといって、一瞬にもせよ悲観することはない。
あなたはこの世の新しい存在なのだ。
―――デール・カーネギー



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