ふることふみのことづたえ

□淡嶋
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 それを聞いたツクヨミは、思わずにやりと笑った。何ともスサノオらしい。

「なるほど。ならば俺も、その辺の精霊をお前の目付につけようか」
「やだっ」
「何ゆえに?」

 駄駄をこねるスサノオの顔を、ツクヨミは脇息を枕代わりにしながらわざと下から覗き込む。

「えっと、それは……」

 疚しいことなど何もないはずなのだがスサノオはしどろもどろに言葉を探した。彼は下から覗き込まれるのが苦手なのだ。何もかも見透かされそうで、余計なことを言いそうになる。覗き込んでくるのが、あの吸い込まれそうになるほど深い色の瞳を持つツクヨミならさらに効果抜群で、しかもツクヨミはそれを十分わかった上でそうしてくるのだからタチが悪い。

「何かおもしろいおいたでも思いついてたか?」
「ぅ……ええと」

 スサノオが思わず一歩後ろにさがったとき、

「ツクヨミさまー、」

 すっと襖が開いて黒髪の少女が――いや少年が入ってきた。ウズメだ。肩甲骨まで伸びた柔らかい髪をひとつに結び、明るい菫色の瞳を持っている。ぱっちりとした二重の目と口角の上がった唇が可愛らしい。彼は芸能の神であり、古代の神々をその身に降ろすこともできる、高天原でも希少な神坐の舞手である。後世で天宇受売命が女神だと伝えられるのは、可愛らしい見た目であるために起こった事故なのだ。

「どうした、ウズメ」

 ツクヨミは特に咎めもせず振り向いた。というのは本来北対は天原宮での生活を許された限られた者しか入れない場所なのだが、ウズメはその特権を受けているのだ。一方、入ってきたウズメはスミレ色の目を驚いたように丸くして――次の瞬間、

「それは近すぎますってばっ」

と声をあげた。

「は?」
「その近さは中津国のどこかに伝わるショージョマンガですってば!」

 遠い未来の人間界に疎いツクヨミはまったく意味が分からんと溜め息をつく。一応説明しておくと、このときウズメは、少女漫画にときどきある、キスシーンを思い出していたのである。

「ツクヨミさまがキス魔だったなんてっ、アマテラスさまぁぁツクヨミさまがあぁ」

 混乱に陥ったウズメは、ツクヨミには到底理解できない、いやしたくもない言葉を喚きながら、もと来た渡殿を走っていく。

「おいウズメッ、それは聞き捨てならない……っていうか廊は走るな!!」

 小さくなっていく少年の背中に向かい叫ぶ青年は、はたから見れば何ともおかしくて、

「兄上……」

 スサノオは溜め息をついた。青年の綺麗な横顔が、辟易したように歪んだ。



 天原宮本殿。そこは政の核となる大広間と接見の間で構成される。大広間は壁がなく、昼間は衝立などで適当に区切って神々が仕事場に使い、夜は宴などに使われる。周囲は廂と簀子がついており、前庭にも中庭にも下りられる。大広間と廂をはさんだ西隣の謁見の間は天照大神の執務室として使われている。そのため本殿で大声を出す者などいないに等しい。はずなのだが。



「アマテラスさまーーー!」

 北対から本殿まで走ってきたウズメは大音声を響かせて接見の間へと飛び込んだ。

「やかましい。何の騒ぎか」

 襖を開けた途端飛んできた叱責は凛と澄んでおり歯切れがよい。張りのあるその声は部屋の主、天照大神のものである。高天原の頂点を極めた彼女は上座の位置に陣取り、自分の長い金髪を結い直しているところだった。

 太陽の化身である彼女の髪は金色に輝き、透き通るほど細くて美しい。瞳は秋の空をそのまま映し取ったように鮮やかで、目の形は少し垂れている。薄く知的な唇は鮮やかな青みある赤色で、紅を塗らなくても十分通用するほどよく映えていた。

 それにしても、この部屋で彼女がひとりなのは珍しい。大抵は参謀である銀髪の青年が傍にいるのだが、アマテラスの補佐も務めるツクヨミが北対の自室に引きこもっていたくらいだから今日はあまり忙しくないのかもしれない。

「どうした」

 アマテラスは一応手を止めて少年を座らせると説明を促したが、どうしたと問われたウズメは困ったように眉を下げた。

「あの、えっと、よく考えたら特に意味はないです」
「意味もなく大声を出して走ってきたのか?それはご苦労だったな」

 もちろんアマテラスはウズメを労ったわけではない。

「えーと、ちょっとびっくりしちゃったんで思わず」
「はあ?」
「つ、ツクヨミさまがショージョマンガみたいな構図を再現してて」
「意味が分からん」

 アマテラスはせめてもう少しまともな説明をしてほしいものだと首を振った。どのような構図かまったく伝わってこない。

「ツクヨミさまがスサノオにすごく顔を近づけて下から覗き込んでて、」

 そこまでいうと、アマテラスは事情を察したらしく、「ああ」と呟いた。

「ウズメ、それはアレだ、スサノオのいたずらを阻止するのに一番有効な心理作戦だ」
「えっ!ツクヨミさままでそんな卑怯な作戦を……僕、そういうこと考えるのはオモイカネさまだけだと思ってました」



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