fantastic

□Forbidden Eden-禁じられた楽園-
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 真っ白い回廊、その真ん中を流れる細く美しい水路。繊細な装飾の柱には緑の蔦が程よく絡まり、庭では白い花があちこちに咲いている。そこは美しい神の庭――柔らかい光に包まれた温かい場所。

 誰も居ない日溜まりの中を、彼はただ一人歩いていた。その場を包む空気は静か過ぎる。静寂というよりも、どこか空虚であり、時間の流れから取り残されたかのようにさえ見えた。

「まるで遺跡だな」

 彼は低く呟き、白く円い柱に手を滑らせた。

 彼の名はミカエル――最も偉大な天使達の中でも名をはせる、4大天使のひとりであり大天使長でもある炎の天使。その肩書きにふさわしい、堂々とした風貌に端正な顔つき、長身ですらりとした身体をもつ。そして特記すべきは神々しく輝く見事な金髪。長く伸びたそれを無造作に首の後ろでひとくくりにしているため厭味はさほど感じられない。

 彼はふと柱に滑らせていた手を止めた。不自然な傷がある。

 腰ほどの高さに数本、横にひっかいた様な跡が残っている。彼は指先でその傷痕にそっと触れてみた。その一瞬、

『また背が伸びましたね、ルシフェル様』
『ぼく、早く大きくなってここから出るんだ』

 見えたのは銀髪の子どもと金髪の優しそうな青年の幻影。いや、傷に残っていた記憶が見せた残像か。

「……ルシフェル……」

 ミカエルはかの天使の名を呟いた。

 <明けの明星>と称えられ、ひとり隔離されていたルシフェル。彼が此処にいたという痕跡は、この神殿の中にたくさんある。柱に彫られた彼の名前、書きかけのまま放置されたメモ。長年空気に晒されたインクは既に薄くなっていて読めない。それだけが時間から隔離されたこの空間に、時の経過を示していた。

 幼いルシフェルが『混沌』を解放したのはもう随分昔のこと。年数なんてわからないほど記憶を遡らなければならない。

 当時、ミカエルもまた幼かった。彼は生まれた時から祝福され何の不自由無く周囲に傅かれ大切にされていたが、ルシフェルは違った。

 彼らは兄弟なのに会うことすら叶わず時折ミカエルが兄のことを尋ねても、誰も彼のことを知らない。

 やがて天界を騒がせたあの事件。ルシフェルは地に堕ち、開け放たれた扉は『混沌』を封じ直すことも出来ぬまま閉じられた。それ以来、『光を呼ぶ天使』とまで言われたルシフェルは初めての堕天使と呼ばれるようになる。

 ミカエルはその話を聞いた当初、何も感じなかった。ルシフェルは確かに自分の双子の兄。しかし認識していたに過ぎず実感は湧かず、ただ話に出てくる子が扉を開けたという印象だけが残った。

 それは今になっても変わらぬまま――ただ、何故そのようなことをと形式上の兄に疑問を持つのみ。

 元々、わからないことばかりなのだ。兄であるルシフェルがひとり引き離されていた理由も、何故禁忌の扉がこんなところにあるのかも、誰も近付けない筈だったこの場所に、何故『無価値』のベリアルが近付けたのかも。

 ベリアル――現在存在する天使達の中で一番初めに創られたと言われている美しい天使。ミカエルは何度か彼に会っているが、いつも何か浮世離れしている印象を受けた。

 誰にでも優しく、いつ見ても微笑んでいるが、かえって何を考えているのかわかりにくい。大勢の中に紛れ込んでしまえば彼の気配は極めて希薄だった。

 今思えば、堕天した時ベリアルはそれまで抑えていた感情をコントロールできなかったのだろう。第六天から第一天までの関門を無理矢理突破したために、美しかった翼はズタズタになっていたとガブリエルが証言した。

 そして神は仰せになる――あれは悲劇であった、と。

 神のその言葉が何のことを指すのかはわからない。ルシフェルが堕ちたことなのか、混沌が解放されたことなのか、ベリアルが反抗したことなのか――或いはそれら全てか。

 ミカエルは中庭に続く開放的な通路を足早に歩いた。あまり長くはいられない。彼は天使長で多忙な上にここは普段立入禁止区域。長居するのはいくらパトロールでもまずい。

 カツカツと足音が響く。確かめなければという焦燥感に駈られ、ついに彼は走りだしていた。人間の聖職者が着るような長いチュニックがいやに重い。足にまとわりついてくるのがうっとうしい。それでも彼は走る。理由はわからない、ただそうしなければという衝動に突き動かされるのだ。

 混沌の扉はもうすぐそこ。


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