fantastic

□Temptation -誘惑-
1ページ/2ページ



 壁面のランプが仄かに揺れる、薄暗い店内。酔っ払い同士のいさかい、博打、はたまた下品な話題が入り混じった喧騒は、店の隅にいる男に一切気を留めることもなかった。彼の席はちょうどランプの真下であり、角で影が濃く、周りよりも暗かったし、彼のいでたちがまた影に溶け込みやすいものだった。カラス――おそらくそう喩えられるであろう美しい黒髪に、黒い服。ただ、肌だけは白く、影のせいか不健康な印象にも思われた。彼は一人で頬杖をつき、グラスに入った氷が溶けていくのを感情の見えない冷めた瞳でただぼうっと眺めていた。

「悩み事かい、ベルトラード」

 いつからそこにいたのか、金髪の青年がテーブルの端に乗り上げて座っていた。顎のラインで切り揃えたサラサラな髪を耳の後ろにかける指は細く、女性的。けれどもその声は低くかすれ、紛れもなく男であることを示している。血色が悪く、病弱な青年といった風体だ。

 ベルトラードと呼ばれた黒髪の青年は、突然現れた青年に特別驚くこともなく、「別に」と小さく首を振った。

「熱、まだ治らないんだってね?」

 金髪の青年は椅子に座りなおして頬杖をつき、ベルトラードの顔を覗き込んで含蓄のある表情で笑った。やはり悪魔というべきか、優しげではあるがどこか嘘臭い。

「まだベリアルは君の名を呼んでいないんだね、ベルトラード?……君は、本当の名を、知りたくはないのか?」
「……知ったところで、得にはならない」

 ベルトラードは青年と目を合わせもせず、どこか諦めたように小さく首を振った。

「ベリアルが言わないのなら、知らなくてもいいことだ」
「本心かい?君は混沌を持ってる。おそらくかなり大物だ。神でさえ、恐れるような――ね?」

 その言い方に、ベルトラードは眉をひそめた。

「マモン、俺は回りくどい言い方は嫌いだ。俺が聞いたって、ベリアルは言わない。さあ、もう行けよ。混沌が暴れ出して君を呑み込む前に」
「今のままではきっと無理だね。混沌は確かに巨大だけど、制御ができないんじゃ、ただ暴れるだけさ」

 金髪の悪魔は頬杖をつきながら優しく微笑んだ。




Temptation
-誘惑-


「大きな力は使えないと意味がない。宝の持ち腐れだよ、ベルトラード」


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ