ふることふみのことづたえ

□朔月夜(2)
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 天原宮のなかでももっとも神聖な西対。普段人気がなく厳粛な雰囲気に包まれ佇んでいるはずのその場所から、外からでも漏れ聞こえるほど鈴の音が響いている。

 アマテラスはその音に気を留めることなく、斜陽に照らされた木々の影が窓を通って祓戸のすべすべした白木の床に長く伸びてくるまで膨大な量の記録を漁っていた。父であるイザナキが書き残したものである。彼は何でも記録していたようで、その記録からは彼のこまめな人柄がよくわかる。

 彼女はツクヨミの封印やイザナミの最期について、何か役立つ記述がないかと探していたのだが、情報が多すぎてかなり難航している。年代順に書いているものもあれば思いつきで書いているものも多数存在し、その内容もばらばらである。

 しばらく巻物を祭壇の奥から出しては中身を確認して戻し、という作業を繰り返していたが、とりわけ古い巻物を発見し、アマテラスは何となく手に取った。広げてみると『天御中主(あめのみなかぬしのかみ)』や『高御産巣日神(たかみむすびのかみ)』、『神産巣日神(かみむすびのかみ)』など天地創造の神に関する情報から始まっていたが、形をとらぬ原始の神々の記述はさほど多くはない。『天御中主神』に至っては名前だけである。

 しばらく流し読みをしていると、同じ巻にふと小さな兄弟の名前が記されているのを見つけて手を止めた。イザナキとイザナミの最初の子、つまりヒルコとあわしまである。

 ――日留子、常世の光を纏いし光の子、しかしそれゆえ足が立たず。葦舟に乗せ常世へ続く安河へ流す。日が流れるのはよくないとして、これを水蛭子命とす。淡嶋、光を宿す子。内に篭もるがゆえに発せず。

 彼らの記述はこのほんの数行のみだった。これでは何もわからぬとアマテラスは言いたかったが、彼らが本当は常世に属する者であるかのような表現に首を傾げた。何より、ヒルコの名が書き換えられた形跡があることに疑問を持つ。けれども次に出てきた神の名を見て彼女はそれこそ驚いた。

 ――常世の思金神、高御産巣日神の子。常世の樹のそばに現る。吉兆。

 現在本人が名乗っている名とは表記が違うが、これは間違いなくオモイカネだ。アマテラスも彼が古い神だというのは知っていたが、まさか神生みで生まれたオオコトオシヲなどよりも前に存在していたとは思いもよらなかった。道理で細かいことをいちいち知っているはずだ。だが彼女たちが生まれた頃、彼はまだ現在のウズメよりも幼かった。ということは、あの頃から常世に還らなくなったのか、と彼女は推測した。オモイカネは常世に還ることで若返る、常世は永遠の国だからだ。変化したものは元に戻してしまうため、常世の者でなければ立ち入ることができないのだ。スクナヒコナが怒って連れ帰るのもわかった気がした。

 彼女は、なぜ還ってやらぬのかとオモイカネに聞いたことがある。その頃のオモイカネは口数が少なくおとなしかったのだが、彼は小さく、忘れてはいけないことがある気がするから、と呟いた。そのときは意味がわからなかったが、記録を読み進めていくうちにやっと合点がいった。なぜ桜が散るとオモイカネが沈鬱になるのかも――

『常世の樹、初めて花弁を散らす、これを桜とする。桜が散るのと同じ刻、イザナミ、黄泉へ隠れたまひき』

 突然きらっと何かが夕陽に反射し、アマテラスの瞳を刺激した。そこでやっと彼女は我に返ることができ、ひとつ息をつく。けれどもそのため息は、たんたんという軽快な足音としゃんしゃんという鈴の音にかき消されてしまった。

 ウズメが神坐を舞っているのだ。金色の扇と榊の枝を右手に持ち、祓戸の床に円を描くように、回りながら移動する。どうやら陽射しに反射したのは扇だったようだ。

 ウズメのいでたちはいつもの狩衣ではなく、袴をはき、薄手の単に袖なしの貫頭の上衣を重ね、胸元から腰にかけて硬めの黒革を太帯のように当てて柔らかい生地の帯を結んでいる。革と袴の間から短い褶が覗き、彼の舞にいっそうの華やかさを与えていた。舞手らしい華奢な腕には玉と鈴を交互に連ねた手珠を飾っており、彼の動きに合わせてしゃらしゃらと涼しげな音を立てた。

 窓の外はまだ明るいが、橙の空には早くも藍色が混じり始めている。今朝はあれほど騒がしかった長鳴鳥も、オモイカネがいない今、めっきり数が減り、鳴かぬどころかはばたきもせずぴょこぴょことはねているだけである。

 この日本格的に散り始めた桜は風もないのにひらひらと舞い落ち、イザナミの死の瞬間に散ったと知ってしまったからであろうか、哀愁というよりもむしろ不気味さを漂わせている。アマテラスはその光景を見て静か過ぎる、とかすかに呟いた。

 そんな中、ウズメは一心不乱に舞い続ける。たんたんと板張りの床を踏み鳴らし、順回りと逆回りを繰り返す。かと思えばふと立ち止まり、扇を頭上に掲げながら体を傾け、腰を低くしながらまるで真正面にいる相手に扇を差し出すかのように腕を伸ばして前進する。そしてまた後退り、まっすぐ前を見据えたまま体の向きを変える。その動きは誰かと間合いを取っているかのようにも見え、その様子を見るにつけ、アマテラスはいつも彼には何かがそこに見えているのではないかと思ってしまうのだ。

 普段はあどけない可憐な少年に見えるウズメも、このときばかりは見るものを圧倒する気迫がある。まっすぐに前を見据えて舞う姿は、ときに激しく燃え盛る炎のようでもあり、ときに清冽とした水の流れのようでもある。あるいは荒れ狂う波、風に吹かれている儚げな葉を思わせるが、いずれにしてもその様子は堂々として揺るぎない。

 そしてその眼光の鋭さ――神坐を舞うウズメにうっかり正面から見据えられれば、どんな屈強な男でも怯むに違いない。

 軽やかな足音が縦横無尽に祓戸を移動する。ウズメが舞う際、足音を立てるのは非常に珍しい。どうやら通常ならばあるはずの鼓の音を表現しているらしい。そのリズムにしゃんしゃんという音が重なると、それだけで空間がウズメの作り出す拍子で満たされる。


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