ふることふみのことづたえ

□日常
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 アマテラスとその参謀が多忙を極めている屋敷の敷地内で、チガエシは、それはそれは呑気な時間を過ごしていた。

 彼はずっと黄泉国と葦原中津国の境界を守っていただけでなく黄泉の瘴気に当てられており、彼自身が思っていた以上に疲弊していたようだ。そのため、彼はしばらく高天原で静養という名目で休暇をもらった。というか、その手でもぎとった。

 北対の簀に出て、日溜まりで柱に背を預けて座っていると、とても心地よい。うとうとしていると庭にいるヒルコやあわしまの元気な笑い声が時折聞こえた。

 ヒルコとあわしまは葦原中津国から帰還したあとすぐに仲良くなった。お互い会いたかった兄弟ということもあり、ヒルコは弟を可愛がったし、あわしまは兄にすぐ懐いた。

「可愛いですね」

 金平糖の瓶を片手に歩いてきたウズメが思わず足を止めて子どもたちを眺め、チガエシの横に座った。

「ウズメも可愛いよ」
「またテキトウなこと言って。ていうか僕は男ですってば」
「それは残念」

 にやりと笑う小憎たらしい青年を見て不満げに唇を突き出し、「からかわないでください」と言うと髪をくしゃくしゃに撫でられた。

「で、今ここどんな状態なの?あいつ休んでないだろ」
「あいつって、オモイカネ様ですか?」

 ウズメは庭にいる子どもたちを手招きしながら尋ね返す。チガエシは頷いた。

「そう。下界で倒れて帰って来たくせに何やってんだってフトダマがえらい剣幕でな」

 倒れて帰ってきた直接の原因が実はチガエシの手刀だったことはフトダマには内緒だ。あとが怖いから。

 ウズメは小首を傾げ、フトダマを思い浮かべた。暗い紺色のような色の髪をした青年は、大抵寡黙で低く抑えたような声で話す。その彼の「えらい剣幕」を見てみたいような、見たくないような……。

「フトダマとオモイカネは兄弟だからな……オモイカネの体質は特殊だし、そりゃ必要以上の心配もするだろう」

 苦笑まじりにチガエシは呟いた。
 その言葉で、ウズメはチガエシがオモイカネの兄弟ではなかったことを思い出した。チガエシとオモイカネは双子のようにそっくりなので忘れがちだが、チガエシはイザナキの子、オモイカネはタカミムスビの子である。他人のそら似なのかな、とウズメは思っている。もっとも、いつも眠そうなオモイカネとは違い、チガエシは常にぱっちりと目が開いているが。

「とりあえず寝かせてあげたほうが良くないか?あいつ眠たそうだし」
「オモイカネ様が眠そうな顔をしてるのはいつものことですよ」

 ウズメは手招きに反応してやってきたあわしま達の手に金平糖を乗せ、にこっと笑いかけながら言った。

「……いつも、か。フトダマが怒るわけだ」

 チガエシのため息混じりの呟きは、薄紅の花弁とともに暖かい風に拐われていった。

「そろそろ桜が散るな」
「ええ。でも、またすぐに新しい芽が出てあっという間に満開になりますよ」
「そうなのか?」

 チガエシは驚きに満ちた表情でウズメを見た。普通、一度散った桜が花をつけるのは一年後の春だ。少なくとも葦原中津国では。種類が少し違うのだろうか。

「こちらでは、桜は絶えず咲いてます。ここ、下界の感覚では常春なんですって」

 僕たちにはよくわかりませんけど、とウズメは言うが、昔父上にここに連れてきてもらった時は確かにいつも暖かかったなとチガエシは思った。

「でも、何故か桜だけなんですよね」

 ウズメは首を傾げながら金平糖をつまんだ。遠目で見れば、少女が小首を傾げながら金平糖を食べている可愛らしい光景である。

「他の草木はちゃんと、散ったら実を結んで、ある一定の時をかけてまた咲くのに何故か桜だけは直ぐに咲くんです。もともと、桜は散らなかったからだと聞いたことがあります」
「へぇ」
「あと、イザナミ様が大好きだった花だから、彼女のために今も直ぐに生えてくるんだとも言われているんですって」
「イザナミ……」

 彼はその名前を呟いて、先日会ったばかりの黄泉の女王を思い浮かべた。

 とても綺麗な女だった。あの女がまだ、ここ高天原にいた頃はイザナミと呼ばれていたのだ。おそらくたくさんの神々から慕われたのだろう。

「イザナミはどんなひとだったんだ?」
「わかりません。僕はまだ生まれていなかったから」
「ああ、そっか」

 神は生きている時間と見た目が必ずしも比例しない。年下だと思っていたら年上だったり、逆もまたある。だからチガエシは、ウズメが自分より年上でもおかしくないと思って質問したというわけで、決してぼけていたわけではない。

「でも、綺麗でとっても優しい方だったみたいです。皆さま、口を揃えて誉めますから」
「そうか……」


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