コヤネは小さくため息をついた。 目の前には、見慣れた長い黒髪の青年。いつもはひとつに結い上げられた髪が今は下ろされていて、彼の背中を流れるように滑り落ちている。 ついさっきまで青白い顔で昏昏と眠っていたはずのツクヨミが、少し目を離したうちにいつの間にか目を覚ましていて、しかも体を起こしていたのである。 「まだ寝ていなきゃ。ほんの少ししか休んでいないのよ」 「これ以上休んでいられない。あいつがまだ忙しくかけずり回っているのに」 「ダメよ」 「では誰が下界の守護をするんだ、俺以外に?」 「でも」 耳によく馴染む、可憐な声に焦燥が混じる。 こんなに心配しているのに、当の本人はそんなことお構いなしに自分の役目ばかり気にするし、あまつさえ口を開けば一番に「あいつ」だ。目の前にツクヨミの心配をしているコヤネがいるというのに、今ここにいないオモイカネが忙しくしていることのほうが、彼にとって大事という。 それは、仕方のないこと。仕事は大切だし、男同士の繋がりに、きっと容易に女は入り込めない。彼らの友情はことさら深い。だけど、こんなときにまで、体調よりもオモイカネを気にするなんて、と彼女は俯いた。 無理をさせたくないのに。私だってあなたを大事だと思うからこそ休んでいてほしいのに―― 彼女は目に涙をため、きゅっと膝の上で両手を握り締めた。 「……心配してくれているのは、すごくわかるんだ」 ツクヨミは呟いた。 「俺のことを思って休めと言ってくれるのはちゃんと知ってる」 彼の言葉を聞き、彼女は顔をあげる。 「だったら」 「でも、できる限りのことはやりたい」 深い夜の色をした彼の瞳が、彼女の青い瞳をまっすぐに見据える。彼女は泣きそうな表情で涙を堪えているのに、ツクヨミは知ってか知らずか御帳台から出ようと綿入りの衣を脇に寄せた。 ずるい。本当にあなたはずるい。こちらの気持ちを知った上で、無理をしようとする。それならそれで、いっそ私の言葉を強引にでもつっぱねて無視してくれればいいものを、こんなふうにお伺いをたててくる。そういうふうに言われたら、否、と言えないのをわかっているくせに…… だからこそ、是と答えてはだめだと彼女は思う。無理をさせてはいけない。無理をさせる気はないと、オモイカネも言っていた。ツクヨミを頼むと、たった一言だけ言い置いて――彼だってこんな状態のツクヨミを放って行かなければならないのはつらかっただろうに。 彼女はツクヨミの瞳を憶することなく見つめ返して口を開いた。 「今貴方にできることは、皆を心配させないように休むことだわ」 「……コヤネ」 「そんな捨てられた子犬のような目をしてもだめ。自分の体調に責任をもてないひとが、ほかのことに責任を負うことなんてできないわ!」 意表をつかれたような顔をするツクヨミに、コヤネは更に追い撃ちをかける。 「どうしてもというなら、私を殴るなりして黙らせてから仕事でもなんでもするがいいわ!」 「できるわけがない」 思わず即答した彼に、彼女はにこりと微笑んだ。目の錯覚ではない、彼女の笑顔は勝ち誇っていた。 「なら、お休みなさい」 語尾に、黒いハートがついているに違いないと、ツクヨミは思った。 |