□赤、黒、緑
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拍手が響き合う。壁にはねかえり大音響となる。
他の音を掻き消そうとしているかの如く、盛大な拍手が、
一人のマジシャンに捧げられた。



<第壱幕:覚醒>

僕は暗い沼から彼を見下ろしていた。
僕の二つの瞳が、眼の端から端まで続く広い舞台の上に立っている彼に注がれる。
彼は真黒な背広を粧し込んでいる。表情までは読み取れない。
米粒ほど小さく見える彼の、
動作の一つひとつを、
僕の周囲に居る生き物達は固唾を呑んで見守っていた。
僕は眼を細め、彼の表情を読みとろうとした。
一体、彼は何をする為にあのような壇上に上がっているのだろう。


僕が目を醒ましたと思った途端、僕の意識は此処に運ばれていた。
まるでドームのように広い会場、その最も低い層に広がる狐色の床、あそこは、舞台。
特別な人間が上る場所。
なのに、それを此処から見下ろしている僕は、彼よりも特別な存在なのだろうか・・・。
何を詰まらない事考えている。
此れは夢の続きなんだ。
目が醒めたと思ったが、あれはこの夢の中へと繋がる合図だったのだ。全く、何時になれば夢から醒めるのやら。

ふあ、と欠伸をしたのを見咎めるように、壇上の彼の視線が僕に向かった・・・
、違う。そんな気がしただけだ。
第一、あの眩しい位明るい場所から、この暗い沼のような場所めがけて視線を投げるなんて事、無理だ。
もし見ていたとしても、それは僕個人じゃなくて、暗闇を眺めていただけなんだから。

しかし、確かに・・・、彼の切れ長の鋭い眼が、僕を捕らえたような気がしたのだ。

不思議な感覚。どんどん彼の魔術に引き寄せられている感じ。
彼の口の動きや、細く長い指が取り出すトランプ一枚いちまいに集中する。目から熱でも発せられているかのように、彼しか見えなくなる。さっき迄在った周りの暗闇や蠢く生き物達の気配も無くなり、光が溢れる。
何も考えられなくなる。
無音の世界。
・・・、が渦巻いている世界。
代わりに、
耳の奥から押し寄せるような圧迫感が聴こえる。
此れが、“何もない音”・・・。
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