連載A
□雨に咲く花
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女の目が、あの何かを懐かしむような愛しさの篭った瞳が、男に微笑みかけている。
男はわざと視線を逸らし、それから何も答えなかった。
「お前さま。」
女はもう一度男を呼んだ。
「なんだ。」と酷く不機嫌で素っ気無い男の声が返る。
女は黙って寄り添うと、男の肩に己の頭を乗せた。
「今のあたしが愛しているのは、お前様だけだよ。だから、そんなに怒らないでおくれ。」
しんと静まり返った部屋には、何時の間にか雨の音が響いた。
男は女を少しだけ見つめ、それから女の頭に頬を寄せた。
「この怒りを静めてみようか」
すぐ近くからの低い声に、女は「そうして下さい。」と嬉しそうに笑った。
「なぁ、お前。」
男は女の肩をそっと抱いた。
細い身体から温もりが伝わり、「なんでしょう。」と高くて優しい声が聞こえた。
男は続ける。
「俺はこれでもお前の旦那様だ。俺以外の男の話は、大層面白くない。だが…」
今まで頷いていた女は、男が言葉を止めると首をかしげた。
男はどうやら考え込んでいるようだった。
しばらく黙り込むと、何度か頷き、それからやっと続きを紡ごうと口を開いた。
「お前の旦那だからこそ知りたい。お前の心の中に居る、その手紙の送り主とのことを…」
男の顔は酷く寂しそうであった。
女はそんな男を慈愛の笑みで見つめ、それから静かに立ち上がり窓の外の雨を見つめた。
「お前さまがそう仰るのならば…」
「お話しましょう。」そう女は繋げた。
「ですがお前様。」
「どうした?」
「あたしがこれからするお話は、きっと。いいえ、絶対に。お前様を驚かせてしまうことになります。それは、この手紙の送り主を語る時、必ず過去の醜いあたしを登場させなければいけないからで…」
少し俯いた女は怯えていた。
隠し続けた過去の己の正体をこの愛すべき男に晒す時が来たのだ。
「それでも、今までのようにあたしを愛してくれるかい?」
女の決意というものは何時の時代も強く儚い。
男は立ち上がり、ゆっくりと頷いた。
「それなら話すよ。己とこの手紙の送り主の話を…」
雨に咲く花-序章-
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